2009年07月12日

アート> 「ペインタリネス2009」 ギャラリー白

大阪梅田から歩いて少し、老松通り近く、西天満にあるギャラリー白で開催中の「ペインタリネス2009」を見てきました。 7/6〜7/18の開催です。

抽象平面の作家さん8人が参加してのグループ展、ギャラリー白の2つの展示空間(2Fギャラリー白,3Fギャラリー白3)を使用しての展覧会となっています。
2008年に続いて見せていただいた展覧会です。 冊子によると既に10回以上続いているグループ展だそうす。


出品されている作家さんを書いてみますと、石川祐敏、大城国夫、大杉剛司、佐藤有紀、堀内昇、真木智子、田中美和、渡邉野子さんという8人の作家さん。

印象に残った作品について書かせていただくと、まず2Fで最初に目に入った、大城国夫さんの作品。 初めて見る感じの画面で、色々な色の塗り重ねがあるのですが、一番表面に見えるのは、緑の地に大き目の赤の斑点状の模様が茫洋とした感じに描かれているといった画面。 赤の模様を描いているというとちょっと語弊があるような気がします、どちらかというと色々な色の塗りの中で地も模様も含めて結果的にこうなったという雰囲気の画面。
はっきりくっきり描き分けているのではなく、赤の上に緑が重なっているのも見えますし、更に緑の下に青が塗ってあったのも見えています。
全体の亡羊とした感じと、模様が浮いていて且つ微妙に横に流れがあるような感じがあったこと、色的には一番下の模様の辺りで青-緑-赤と3色が現われている辺りが良い感じでした。


もう一枚が、 石川祐敏さんの作品。基本的に、小さい点々の連なりで構成されていて、横ストライプ状の模様になっています。 くっきりとしたストライプ模様ではなくこれも茫洋としたところのある画面。 色的には黄色から黄緑で構成されています。 個人的にはもう一段階ぼんやりしていてくれたら更に好みと思えたのではないか?との印象でしたが、とてもいい画面でした。

去年は、ギャラリーまで行くのに、ひどく迷ったと書いてあったのですが、今年はちゃんと地図を見ながら行ったので、そんなに悩まずに行き着けました。 また来年も見てみたい展覧会です。

−−ここから反省です。。。−−
ここ数ヶ月、ほとんど記事を投稿していませんでした。 まあちょっとこの所、ドタバタしていたので、なんとなくサボってしまっていたのですが、駄目ですねぇ。。一旦”まあ今日もいいか・・”と思うようになってしまうと、逆になかなか再度書き出すきっかけが無いというか、、、、やっぱり人間楽なほうに倒れてしまうと元に戻りにくいものですね。
一応、また週に数ネタくらいを投稿するペースには戻したいと思っています。
どこまで守れるものやら?自信は例によってありませんが、まあ今の気持ちはそうであるというところです・・・。
posted by 大阪下町オヤジ at 02:52| Comment(0) | TrackBack(0) | アートなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月25日

アート> 「マーク・ロスコ  瞑想する絵画」 川村記念美術館

千葉県の川村記念美術館で開催中の「マーク・ロスコ  瞑想する絵画」を見てきました。 2/21〜6/7の開催です。

この方は抽象の作家さんで・・・ などと書く必要は全く無いくらい、著名な抽象の作家さん。 元々私はマーク・ロスコさんの作品はとても好きだったのですが、これだけ大きな作品をまとめて見ることが出来たのは初めてで、あらためてそのすばらしさを実感したという感じで、非常にすばらしかったです。

特に、今回の展示の目玉とも言える、「シーグラム壁画」の展示は、、、
大きな空間に、巨大な画面の連作が並び、部屋全体がロスコの世界で満たされているという、何とも言葉では言いがたいくらいに良くて、”う〜ん”とか”おぉ〜”とか分けのわからないうなり声しか出てこないような状態でした。

この方の画面は、色的には、かなり色味の違う色を組み合わせて画面を作られていることも結構あるのですが、この「シーグラム壁画」の作品は、一枚を除いてはほぼ同系色で、少しの色味又は明度の違いで模様が構成されている画面。 しかし一枚一枚が巨大な画面なので、茫洋としていながら、何とも言いがたく迫ってくるものがあって、やはり圧倒されました。


こうして言葉で書くと、まあさらっとした文章になってしまうのですが、この「シーグラム壁画」のような作品+空間というものは、やはりその場に自分の身を置いてみないと、そのすばらしさは実感できないな〜と思います。 何でも大きければいいとは必ずしも言えないのは当然なのですが、この作品に関しては、大きいことのメリットを十分に生かすことが出来ている作品であると思います。
このときの感覚ばっかりは、いくら後で画集を見直しても感じられるものではないと思います。


この川村記念美術館というところは、東京駅からも結構行くのに時間がかかる、中々大阪に住む身としては、行くのにハードルが高いところなのですが、この展覧会はそんなことも吹き飛ばしてくれる非常にすばらしい展覧会でした。 足を運んで本当に良かった展覧会と思います。
posted by 大阪下町オヤジ at 01:50| Comment(0) | TrackBack(1) | アートなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月05日

アート> 「鳥居宏展」 信濃橋画廊5

地下鉄 本町駅近くにある、信濃橋画廊5で開催中(5/4〜5/16)の「鳥居宏展」を見てきました。 信濃橋画廊の5階にある2つの内、大きいほうの展示室での開催。

この方の作風は抽象平面。 絵の具をキャンパス上に勢いよく吹き付けて、そのたたきつけられた絵の具の勢いの結果生じる絵の具の飛沫の跡、絵の具のたれ、それらが相まって、要素的には少ないながら、画面全体から勢いとか流れを感じるとてもいい画面。

今回の展示作品は、背景が全て青で統一されていました。 割とフラットに塗られている作品もあれば、透明度高めの深い青を塗って、その塗り跡とか薄く塗ったときに下に多少流れているのが判る塗り方にしてあるとかあって、その辺りが始めて見る要素になっていました。

個人的に良かったと感じたのは、全体としては、部屋に入って向かって左側の壁面に展示してあった100号くらいの横の作品。 バックは深い青で、模様の具合とあいまって、非常に幽玄で、茫洋とした大きさを感じる作品でした。 吹き付けの模様の面白さという点では、その作品の横に展示してあった小品が面白い感じでした。

前の展覧会の時も印象に残っていたのですがこの方の展示は、非常に空間を考えて、作品を絞って、空間全体がうるさくならないように上手く展示されているなぁと感じました。
今回も100号サイズが3枚展示されていたのですが、展示数としてはそれ+2枚くらいで、展示されている所、しない所のメリハリが上手くつけられていました。
posted by 大阪下町オヤジ at 00:28| Comment(0) | TrackBack(0) | アートなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月02日

マンガ> 「竹光侍」6巻 作:松本大洋,永福一成

「竹光侍」,6巻,作:松本大洋、永福一成(原作),ビックスピリッツコミックススペシャル、小学館です。
松本大洋さんが描く時代劇の第6巻。


前巻で、牢から逃れた木久地は、その刃の矛先を 多岐家の侍たちに次々に向け、一人又一人と殺されていく。 その中で、自らの居場所が無くなっていると感じていた大三郎が木久地に果し合いを挑み、そして物語から消えていく。

アクション的には、この巻の一番の盛り上げどころが、この木久地と大三郎の対決シーンでしょう。 いつもの躍動感もいいですが、自らの最後を芝居の一幕のように終わらせようとした、大三郎の哀しさも印象的に描かれていて、なかなか忘れがたい部分です。

そして、その顛末を知った宗一郎が、ついに自らの意思で再び国房を手にする。。
物語の先を予測するのは難しいですが、宗一郎と多岐家の家臣たちの関係が微妙に変わってきていること等も見ていると、物語は、次巻あたりで佳境に入っていくような気がします。
木久地のことだけでなく、多岐家と宗一郎のこともこれから大きく動いていくような気がしています。


最初の1、2巻を読んだ段階の感想からすると、結構違う方向にお話が展開しているなぁと思うのですが、これまで描かれてきた様々な要素が、ここに来て一気に収斂してきている感じで、非常に上手くお話を構成されているなぁと思っています。
なので、次巻、さらにその次、くらいまでを読むのが非常に待ち遠しい気分です。
posted by 大阪下町オヤジ at 01:47| Comment(0) | TrackBack(1) | マンガの雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月30日

マンガ> 「この世界の片隅に」下巻 作:こうの史代

「この世界の片隅に」下巻,作:こうの史代,アクションコミックス,双葉社です。
この巻で完結です。 太平洋戦争末期の広島・呉,そこに嫁いだ、かなりのんびりな女性主人公“すず”の日常を描きながら戦争末期の困窮、物資不足、制約が増す社会、等々、本当にその時代の一庶民の生活が地に足の着いた形で描かれています。

この巻も日常生活の細かいディテールが描かれると同時に、通常描かれるような大局的な判断の様な、その時代全体を俯瞰したような見方が、如何に庶民にとっては縁遠いものであるかがはっきりと感じられます。 それだけにこういう作品が非常に貴重に思えた読後感です。

戦争はますます不利になってきて、毎日空襲警報に振り回される,すずの家族も含めた庶民達。 戦況は回復するわけでもなく、すずも片手を爆撃で失い、気持ちが一時的にバランスを崩しそうにもなる・・。 そして、広島への原爆の投下と敗戦,そしてそれでも人々は生き続けるというところで物語は終わっています。

よくニュースや太平洋戦争を振り返るドキュメンタリーで見る、天皇の敗戦の宣言にしても、庶民の感覚からすると、ラジオの音声が不明確であることも手伝ってか、なんだか明確な意思の宣言というより、なんとなく、結局負けたのか・・・という印象でしかなかったこと。 結局は誰かの思惑にただ振り回されただけであったのかという庶民の虚しい気持ちが伝わります。 その後のすずの心の中の叫び、”暴力で従わせていたから暴力に屈するのか”という言葉が、結局末端の庶民の正直な実感ではなかったか?と思いました。

私は今までも何度か同じようなことを書いていると思うのですが、国でも、会社でも、宗教でも、何であっても、組織のために個人が犠牲になるというのは基本的には良くないことだと思っています。(もちろん程度問題です・・・) 今ならマーケットに振り回されるというもの含むような気がします・・・・
そして戦争というのは、組織のためにその構成員の命を奪う、そして相手の構成員の個人の命も奪ってしまう。 だから基本的に良くないことと思います。


私がこの作品に非常に惹かれているところは、”人は生き続ける”というところが感じ取れるからであると思います。 通常、歴史のエポックというか、劇的な部分を扱った作品などは、その劇的な時期が終わった後の事まではあまり描かれてはいません。 しかし人間というのは、不幸でも幸運でも、何かドラマチックなことというのはそう長い期間のことではなく、それ以外の部分は、ごく日常を人々は生きていくものなのだろうと思います。そしてその期間の方が遥かに長いのです。
ささやかな楽しみ、ささやかな思いやり、愛情、そういったものに安らぎを見い出せるからこそ生き続けていける。 それが維持されること、それこそが本当に必要なことであると私には思えます。
 

理想のために、何かのために、ということはかっこいいし、ある意味美でもある、しかしその為に誰かの何かを踏みにじってしまうとしたら?それはどうなのだろう??と思います。個人個人が勝手なことを言って、勝手なことをしていられること(もちろん程度問題です・・)、、そのほうが、まだましな状況ではないのか? とやっぱりそう思うのです。 何かに無理やり従わせないと維持できないような社会よりか遥かにましです。

どうも最近は、”生き続ける”というところに私は惹かれていることが多いような気がします。 藤沢周平さんの”漆の実のみのる国”とか”風の果て”とか、井伏先鱒二さんの”黒い雨”とか、、そういった感じを受ける作品が気持ちに残っています。 そういったことこそ尊重すべきではないかという気分が自分の中に強くなっていると、改めて感じた作品でした。

とにかく一読の価値はある作品であると思います。 結構お勧めの作品です。 
posted by 大阪下町オヤジ at 01:44| Comment(0) | TrackBack(0) | マンガの雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月26日

マンガ> 「GIANT KILLING」10巻 作:綱本将也,画:ツジトモ

「GIANT KILLING」 10巻,作:綱本将也,画:ツジトモ,モーニングKC,講談社です。
この巻は、ETUレギュラー陣の中核である、村越、ジーノ両選手が出場出来ない中、どうメンバーを組んで、次の試合に臨むか?で、次の川崎戦との試合の途中までが描かれています。


椿選手の描かれ方はあまり変わらず、色々新規にプレッシャーがかかる中、今は経験を蓄積中といった感じ。 ただ、彼を見出したというスカウトさんの発言が紹介されるなど、また新たな伏線が張られているような感じです。

また今回は、これまで脇であまり描かれていなかったベテラン選手の内面と、おそらくは彼らなりの成長が描かれるのでは?といった内容。 ただこの巻全体として、ちょっと盛り上がりに欠ける印象で、後は次巻のお楽しみという印象。 なので、この試合&この巻で色々描かれ始めている事の決着の多くは次ではっきりすると思われます。

それよりなにより、この巻で印象に残っているのは、試合相手の川崎の選手、八谷選手。 ちょっとどころか、相当に暑苦しいキャラクターで、かつ超個性的なので、他のストーリー的な要素、彼以外のキャラクター全てを食ってしまっているという印象。 (しかし試合中にこんなにしゃべれる選手って実際にはいるのでしょうか???その辺のところはさっぱりわかりませんが、どうなのでしょうね??)

どうも巻末の次巻紹介漫画のページだと、また意味深なコマがいくつかあり、又いろんなことが出てきそうな感じですね、この漫画、すでに10巻ですが、まだ達海自身のことはあまり掘り下げられていませんね、彼がなぜ選手から監督になったか?という辺りが語られだしたら、お話全体が終盤ということか?と思っているのですが、いまの調子だとまだまだ先のような気がします。
posted by 大阪下町オヤジ at 02:32| Comment(0) | TrackBack(0) | マンガの雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月20日

アート> 「岡アゆみこ展」 ギャラリー猫亀屋

南海電車 みさき公園駅から歩いて15分ほど、海に近い辺りに位置している、ギャラリー猫亀屋で4/16〜4/23まで開催中の「岡アゆみこ展」を見てきました。

この方の作品は、抽象平面。 油彩で、まず地の色を塗っておいて、乾いてからもう一色を重ねて、そこを引っかいて線を引いて模様を描くというもの、引っかいたところは下の地の色が見えて、それで線がより判るという作風。 色的には、白地に黒か、逆に黒字に白というモノトーン。 一枚、グレーの作品がありました。 

引っかきは、ぐるぐると渦巻く感じの曲線が、小さな作品では少なく、大きい作品ではたくさん、その引っかきの線の太さや画面の中の配置等で印象は色々でしたが、引っかきに流れ、勢いが感じられて、動きと迫力があり非常に良かったです。
(今回は、太目の引っかきの作品が多く展示されていました。)


私が今回の作品で良かったと感じたのは、太目の線の引っかきで構成された白の作品。どちらかというと引っかきで出てきた下地と、上の色とのコントラストがはっきりしているものよりもやや穏やかになっている作品のほうが個人的には好きでした。

また、このギャラリーに行くのに、本当に久しぶりに南海電車に乗りました。 みさき公園という駅に降りたのも初めてのような気がします。(みさき公園という名前自体は知っていたのですけど) こういうあまり行かない所にいけたという意味でもなかなか良かったです。
posted by 大阪下町オヤジ at 09:03| Comment(0) | TrackBack(0) | アートなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月19日

アート> 「浅利美織展」 信濃橋画廊5、

地下鉄 本町駅近くにある、信濃橋画廊5、で開催中(4/13〜4/25)の「浅利美織展」を見てきました。 信濃橋画廊の5階にある2つの内、小さいほうの展示室での開催。

この方の作風は、ビニールで大きな円筒状であったり、色々その会場にマッチした形の風船のような形状の物を作って、そこにフィンで空気を送り込んで膨らませて、その状態で展示空間に置くという、オブジェとも、インスタレーションとも言える感じの作品。 今回も展示空間非常にマッチしていて、とてもいい空間が作り出されていました。

この5、の展示室は、小さいコンクリート壁の展示室なのですが、その空間の奥から手前まで大きな透明ビニールの四角状の風船が占めていました。 その風船は、ちょうど真ん中に細いワイヤーがひもで縛るようにかかっていて、少しくい込んでいて、へこんでいます。
風船全体は、奥が高く(170cmくらい・・),手前が低い(足元くらい・・)その斜めの角度もいい感じで、展示室を構成している展示物の要素は、非常に少なくて、シンプル極まりない構成といえるのですが、その配置や構成が展示空間に実にいい感じに収まっていて、
今回もとても良かったです。


ただそこにある、それですごくいいという、本当にいい感じでした。 いつもながらですが、足を運んでよかった展覧会。 又次の機会があれば出来るだけ足を運びたいです。
posted by 大阪下町オヤジ at 03:08| Comment(0) | TrackBack(0) | アートなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月15日

アート> 「松田彰、」 信濃橋画廊

この記事ももう終わってしまった展覧会の情報になります。 しかし記事を書かなかった1ヶ月弱の期間の中で見た作品で、一番印象に残っているものなので、書いておきたいと思います。
地下鉄 本町駅近くにある、信濃橋画廊で3/30〜4/11まで開催していた「松田彰 「言葉のように」」を見てきました。 信濃橋画廊の地下の一番大きい展示室です。

この方の作品は、つやのある表面の木の板の上に四角に切ったり、不定形に切ったりした紙を貼り付けて、その紙を鉛筆で黒く塗りつぶして、塗り残しの形でシャープな白い線が残っていたり、飛沫のように白い点が残っていたりという感じの画面。
鉛筆で執拗に塗りつぶされている部分の感じが面白く、筆圧のせいでしょうか?ちょっと凹凸があるようにも感じられて、とてもいい黒でした。
※鉛筆というお話であったのですが、ちょっと光の反射具合と、黒の筆致のかすれ具合などから、むしろチャコールペンシルか細身のパステルの黒のような(又は木炭か??)のような印象を最初は受けた表面の具合でした。


一番いいなぁと感じたのは、ほぼ全面に紙が貼られていて、下の木の板がほとんど見えないほど黒一色の作品。 特に、ちょっと上の部分にT字型みたいな感じに黒のはみだしがあった作品が構成的にとても面白く思えて一番印象に残っています。(奥の壁面に3枚続きで展示されていた作品)

この方の作品のもう一つの魅力は、その塗りつぶしという、いかにも手の作業が感じられる要素と、その中に、電動ののこぎりで、切込みを入れたようなシャープな直線が切れ込みとして存在していて、その対比がとても良かったです。 画面がとても緊張感のある引き締まったものになっているように私には思えました。 絵の具で線を引くということではなく物理的に下の板まで切れ込みを入れているということでより一層そう思えるような気がします。

これも要素が少なくてかつとてもいいという、個人的に好みの作風でした。 又見てみたい作品でした。
posted by 大阪下町オヤジ at 00:53| Comment(0) | TrackBack(0) | アートなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月13日

マンガ> 「絶対可憐チルドレン」16巻 作:椎名高志

かなり久しぶりの記事になってしまいました、、、そんなつもりは無かったのですが、”今日は、まあいいか”というのがずるずる続いて、結果的には前の記事から約1ヶ月近く間が空いてしまいました。 このところ、あたふたしていたのも確かなのですが、ここまで書かないのは良くないですね。(反省・・です)

「絶対可憐チルドレン」16巻,作:椎名高志,少年サンデーコミックスです。
この作品自体、3/18日発売でした、大概購入してすぐか、数日遅れくらいで書いているのに、これ自体が大幅な遅れ。。。。 まあここから仕切り直しということで、、、、


この巻から、チルドレンが中学生時代に突入しています。 エピソード的には”反抗作戦第一号”,”スクール・デイズ”,”シャドウ・オブ・ザ・チルドレン”の3つと”ファントム・イン・パラダイス”の途中までが収録されています。

中学生ということなので、絵的には当然ながら、チルドレンは身長も伸びて、等身もあがっています。 大人のキャラクターは変わらずですね。


で、読んでの感想なのですが、正直いまひとつ楽しめないままでした。 一つには、中学生編に入って、まだ色々な事が紹介段階にあるからかも知れないのですが、まずは伏線を色々張ってますという所のような気がしました。(特に黒い幽霊関係で・・)

もう一つは、どうも、小ネタ含めて、各所のギャグのノリにどうもついていけない(またはなじめない)ものを感じたせいもあるように思っています。
特に、”シャドウ・オブ・ザ・チルドレン”の辺りのいわゆる”萌える”(??)系統のノリというか展開は、何が元ネタで、どう笑わしてもらったらいいのか戸惑うことが多く、もはやついていけないか??という気分になりました。


まあ、まだ判断するには早すぎる段階です。 元々好きな作品なので、しばらくは様子見で継続購入していくと思います。 お話的にも、新たな面白さを見つけて、読んでいければと思っています。

表紙絵は、影武者チルドレンを操る2人、ティム・トイとバレット。 (チルドレンはこの巻からは中学生姿で) 構図と背景色、バランスはとてもいい感じですね。 ティム&バレットのグリーンの服と、穏やかな赤紫の背景色がちょうどマッチしているという印象です。
posted by 大阪下町オヤジ at 00:55| Comment(0) | TrackBack(0) | マンガの雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月17日

本>文芸 「予告された殺人の記録」 作:G.ガルシア=マルケス

「予告された殺人の記録」,作:G.ガルシア=マルケス,新潮文庫です。
町をあげての盛大な婚礼の翌朝、一人の男が切り刻まれて殺された。
殺した男達と、殺された男は、昨夜共に酒を酌み交わし、共に騒いだというのに。
しかもその殺人が行われようとしていることは、様々な形で予告されていたというのに、
結局、その殺害は実行されてしまう。


物語は、そこにいたるまでにどのようなことが起こっていたのか?どのような人がどのようなことを感じ,思い,判断したのかを丹念に記述し,語られています。
事件が起きた時代と、その20年ほどのあと、事件がどのように、そしてなぜ起こったのかを調べようとする”私”の行動を織り交ぜつつお話が進みます。
それを語る中で、人間の(というより人間社会の)めぐり合せの悪さとか、個々の人間の弱さ、卑怯さ、臆病さからくる行動、ある種の無責任さ等々。。。人間とその共同体、組織といったもののあらゆる側面が、重厚に、そして重層的に描き出されていて、単純にこうであったという感想などとても書けないといったところです。
しかし、これは本当にすばらしい作品だと思います。 中篇というくらいの薄い文庫なのですが、これほどの密度を感じさせる作品はそうそう無いのでは?と思います。


この作品の誰もが、そんなに激しい憎しみや誰にも止められない意思を持って行動したというわけではないのです。 しかし、殺害を実行したものも、やりたくない。 しかし、やらなければ自分が周りから嘲笑を受けるかも?という恐れから(そこに弱さがある)、この行動に出たように思えて、個々人を有形無形に縛っている、共同体や組織の”常識”とか”こうあるべき”といったもの怖さを感じました。 そしてそこから自由であることが如何に難しく、時に勇気がいることか・・・・
この作品、人間のあまりの多くの側面を描き出しているために、全てを語ることなどできはしないのですが、読後約3週間たって、このことが大きく気になっています。


もう一つは、人間がどんなにその考え方を近代的に、または、クールに割り切って行動しようとしても、その生まれ育った環境で、教えられ、刷り込まれた様々な”当たり前””常識”といったものからは、そう簡単に自由にはなれないこともこの作品を読んで痛感します。
この作品で本当に殺人が起きた原因は、結局明確には判らないまま(少なくとも私には)だったのですが、直接のきっかけは、婚礼の夜、花嫁が処女でなかったことから、花嫁を家に帰したことに起因しています。
この花婿は、他の街から来て、非常にお金持ちで、何事もクールに、お金で解決しようとしていて、あまり因習にとらわれた思考をしないような感じに描かれているように思えたのですが、結局”花嫁は純潔でないといけない”という、今を生きている我々の感覚からすると、やはり古臭い常識にとらわれて、それゆえに、大騒ぎをし、この悲喜劇の幕を実質的に開けてしまいます。
そして我々も、、、彼らと同様やはり生まれ育った社会の当たり前に余りに縛られているでしょう。 私なら、不惑を超えるまでに生きてきた間の様々な刷り込み、昭和の後半〜平成という時代、大阪に生まれ育ったという場所的なこと、両親から受けた様々な教え等等。
そういった中で、多くの”当たり前”を持っていて、それに縛られているはずです。
(岡本太郎さんの言葉をお借りすると、そういったものの泥にまみれているのです。)
おそらく様々な場面で、この作中の人物達と同じとらわれがあることを、読んだ誰もが感じるのではないかと思います。


この作家さんは、「エレンディラ」という作品を読んで、その世界観にひどく惹かれて、なにかもう一作と思って、買ってみた作品なのですが、これも個人的には大当たりで、ここ最近読んだ小説ではダントツにすばらしい作品だと思っています。
始めは、ちょっと読み進みにくいところもあるのですが、読んで決して損は無い、すばらしい作品と思います。 ご興味を持たれた方は是非、お手にとって見てください。
posted by 大阪下町オヤジ at 02:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 本の雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月10日

アート> 「椿ア和生作品展 淀河冬春」 アートスペース海月文庫

地下鉄 西中島南方駅から歩いて7〜8分。 アートスペース海月文庫で開催(3/4〜3/9)の「椿ア和生作品展 淀河冬春」を見てきました。

ほぼ抽象に近いくらいシンプルに川の水面と岸の線が作られていたり、淀川の堤防とその外側の下町の町並みが描かれていたり、冬の鴨が描かれていたり、、、といった感じで、淀川河畔の風景、情景を様々な素材、表現で描いた作品が展示されていた展覧会。

真四角でない木の板や、いかにも長い間外にさらされてきた色の木片で構成されている画面などがあったため、淀川の河原とかで見つけたもので制作されたのかな?と最初思ったのですが、そういうわけではないそうです。 しかし、なんとなく古い素材を用いて作られた作品が多く、そこが、素朴であったり、落ち着き、ほっとするような感じを与えてくれる、暖かい雰囲気の空間を醸し出していました。

木目を上手く生かした作品も多く、また、この方の版画作品も展示されていたのですが、それを見たせいでしょうか? なんとなく作品の雰囲気として版木のような感じを受けるものが多いような気がしました。 個人的にはそこが何ともいい味に感じられてとても良かったです。

この展覧会は、日曜日に見に行ったのですが、気温は結構暖かくて、途中の道の雑草がもうぐんぐん伸び始めていて、花がほころびそうになっている蕾があり,木の枝にも明らかに緑の芽吹きを感じさせる芽が出始めているのに気づいたりと、私があたふたと日を過ごしている間に、もう今年も3月に入っているのだと、改めて思い、いつもながらこういったことに迂闊な自分にちょっとあせりを覚えた日でした。 もう少し、こういった季節のさきがけと言ったものに敏感でいたいと、このところ思うのですが、日々の事に取り紛れていつも後手を踏んでしまっています。 ”反省!・・・・”ですね・・・・。
posted by 大阪下町オヤジ at 02:06| Comment(0) | TrackBack(0) | アートなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月08日

アート> 「阿部順子展」 不二画廊

地下鉄 堺筋本町駅近くにある、不二画廊で開催中(3/2〜3/14)の「阿部順子展」を見てきました。

この方は過去何回か見させてもらっている作家さん。 2回ほど記事を書いています。
この方の作風は、抽象平面と言っていいと思います。 基本の技法はほぼ変わらずという感じで、砂と消石灰をまぜて水で練ったものをコテで画面にぬって、湿っているあいだに、引っかきや、顔料を使用しての色とかがつけてある画面です。


しかし今回、その表現は、結構変化がありました。 これまでは、画面の中に何らかの”形”が存在しているのがはっきり分かるという表現であったのですが、今回は、画面構成としては横一線、又は縦一線のストライプ模様という感じで、引っかき+色でその線状の模様が作られているという構成。 真ん中に線があるとか、半分模様があるとか、その幅、位置は作品によって色々でしたが、基本、線一つがあるという構成は共通のものでした。

短くシャープな引っかき傷がたくさん集まって一つの大きな線を感じさせるという構成。
最初ざっと見たときは、その線の方向がそろっている感じで構成されている画面がシンプルでうるさくなくていいかなぁ?と思ったのですが、それは、どんな技法だろう?と近くでじっと見ていたときで、その後、ちょっと距離を置いて空間全体を見る形をとってみると、ランダムで画面全体に引っ掻きがついている画面のほうが、むしろ画面全体として非常にいい感じになっているなぁと思いました。
やっぱり引いて見ないといけないなぁ・・・と改めて思った次第。


画面上には無数といっていい引っかき傷があるのですが、それらは全てペインティングナイフでされているとのこと。 しかもこの作家さんの画面は、乾くまでが非常に時間が短い技法だそうなので、短時間に集中して一気に描ききられた画面のようです。
それだけの集中力、勢いが維持できるというのはとてもすごいことと思います。


今回もとても良かった展覧会でした。 また次拝見するのが楽しみといった感想です。
posted by 大阪下町オヤジ at 11:19| Comment(0) | TrackBack(0) | アートなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月28日

マンガ> 「ベントラーベントラー」1巻 作:野村亮馬

「ベントラーベントラー」1巻,作:野村亮馬,アフタヌーンKC,講談社です。
時代設定は、ちょこっと未来というくらい。 いろんな異星人(この作中では外星人と呼んでいます)がなんとなく住み着いていたり、時々トラブルが起こったりといった状態で、そんな外星人の絡んだトラブルの対処がお仕事の、外星警備課に勤務している主人公”すみちゃん”。 のんびり、ほのぼの、まったりと、色々起こる外星人が絡んだトラブルに対処していくといった雰囲気の、ゆるめのSF作品。

”ベントラーベントラー”という言葉は、たしかUFOを呼び寄せるときにつかうおまじないの言葉であったという記憶があるのですが、この作中では、外星人絡みの事件を解決するのに外星人の力を借りようとしたときの隠語として使われています。

外星人が絡んださまざまな問題が起こるわけですが、基本的に、地球を侵略しようとか、その事件によって人類のモラルが揺り動かされるといった深刻なことは全くなしで、なんとなく軽〜〜いノリで、なんとなく丸く収まってしまっています。
逆に、そういったいかにも深刻になりそうな状況を作っておいて、それをあっさり、まーえーかなーー。。。と落としてしまうところがこの作品の面白みであると思います。


一番それを感じたのは、”世田谷トリプレッツ”のエピソードで、外星人が調査のため子供コピーを作ってしまったのですが、そのコピーが数年の時間差で帰ってきてしまうというもので、オリジナルの子供とコピーの子供の間でいろんな相克があったり、家族が受け入れられるのか?といった、人や、家族のアイデンティティを問いかける重い重いテーマと展開になってもおかしくないところが、一晩家族の家に泊まっただけで、”他人とは思えない”とあっさり受け入れられて、すっかり家族団らんになっているという、馬鹿馬鹿しいほどの丸い治め方でした。(でもこの作品の雰囲気にとても合っている)

まあこの作品は、あまり難しく考えずに、キャラクター間の軽いノリの会話と展開を楽しめばいい作品だと思います。 そういう意味では結構楽しめた作品。 なかなかいい味です。
しかし、この味で何時まで面白みを維持できるか、何時までネタが続くか?は疑問が残るところです。
ある程度の巻数でスパッと終わらせた方が、作品としてまとまるのでは?という気がします。


でもこの作家さんは、SF関係に非常に造詣が深いのかな〜と思いました。 ロボットの呼び方についての薀蓄もそうですし、ブレードランナーのネタを出すあたりも。。。

この作品、私は結構気に入りましたが、SFが好きで無い人は、全く面白くないかもしれないとも思いました。 だから意外と好みが分かれる作品かもしれません。
posted by 大阪下町オヤジ at 03:25| Comment(0) | TrackBack(0) | マンガの雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月22日

アート> 「吉田廣喜展」 信濃橋画廊

地下鉄本町駅近くにある、信濃橋画廊で昨日まで開催(2/16〜2/21)の「吉田廣喜展」を見てきました、信濃橋画廊の地下、一番大きい展示室での展覧会。

この方の作風は、平面なのですが、単純に具象か抽象かと言い分けにくい感じ。 にじみのような線が引いてある所もあり、引っかきや細い線で、図形のような記号や、矢印が描いてあったり、文字を思わせる点の連なりがあったりと、それが一つの画面で混在しているので、単純にカテゴリー分けしにくい感じ。 しかしはっきりと意味がこうとか/こういう事が言いたいのか/とかは分からないものの、なんとなく全体として各模様の配置の具合からリズムやむしろ全体で詩のような感じを受けるという印象(あくまで私個人が、そう感じた、、、ということですが)

黒字に白く細い線で矢印が描いてあったりした感じが、なんとなくバスキアっぽいような気がぱっと見はしたのですが、そういった攻撃的な感じより、実際見ていると、もっと深く静かに何かを言っているという印象。 どちらかというと、好みの作風では無い方かと思ったのですが、見ているうちに、引き付けられていった画面でした。

技法的にいい感じに思えたのは、ごくごく薄く、黒が塗ってあって、そこが乾く前に拭き取ったかの様な感じで矢印が描いてある表現で、実際の厚みはほとんど無いものの、拭き取ってある箇所がひどく引っ込んでいるような、奥行きを感じて、非常に面白かったです。
(たぶん上から白を塗ったのではないと思えました)
posted by 大阪下町オヤジ at 13:09| Comment(0) | TrackBack(0) | アートなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする