2008年05月31日

マンガ> 「毎月父さん」第2集 作:ヒラマツ・ミノル

「−最強ロマン派− 毎月父さん」第2集,作:ヒラマツ・ミノル,ビッグコミックス,小学館です。
第1集を読んで、そのある種突き抜けた、おバカなノリと展開で笑わせてくれる、格闘ホームコメディマンガの第2集。

この第2集でも、出てくるキャラクターと言うキャラクターがことごとく個性的・・と言うよりもはっきり言ってどこか“変”なキャラクターのオンパレードといったところ。

この作品の笑いのポイントは、格闘技では最強だが、それ以外の日常的なことは皆目常識の無い主人公があえて日常的なことをしようとするときのずれっぷりにあると思っているのですが、第2集では、もちろんそのネタもありますが、どちらかと言うとそれ以外に登場してくるサブキャラクターたちの個性のほうが印象に残っています。

とりあえずは、主人公 総四郎の兄が、打倒弟の為に見出した、ロシア人“ゴルビー”がこの巻以降も登場しそうではありますが、個人的に一番インパクトが強かったのが、格闘技団体“SSK”のオーナーという謎の女性。 なんかチャイナドレスだし、変な京劇みたいな仮面かぶってるし、SSKの野望とか言ってるし、もう格闘技団体とかでは無く完全に悪の秘密結社のノリで、ここで一番笑ってしまいました。

しかし、この不条理なほどのぶっ飛んだ馬鹿馬鹿しさ、無意味さが、この作品の笑える所だと思っているので、どこまでこのノリで笑わせてくれるか? まあ次を楽しみにしていると言う所でしょうか?

ゴルビーと総四郎の対決はあるのですかね?意外とこの作品だと、肩透かしで、さらっとゴルビーがどこかに去ってしまうかも??とか思ったりもしています。(うまくやってくれればそれはそれで面白いと思います)


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2008年05月29日

本>文芸 「パニック・裸の王様」 作:開高健

「パニック・裸の王様」,作:開高健,新潮文庫です。
この作家さん、開高健さんの小説作品を初めて読みました。全部で4編の作品が収録されている作品集。

“パニック”は突如大繁殖したネズミの大群が起こす被害とそれに振り回される人間社会の様相を皮相に描いていながら、最後までコントロールできない自然の勢いを見せることで、現代社会のある種の危うさが浮き彫りになっているように思える作品。

後の3作、“裸の王様”,“巨人と玩具”,“流亡記”は複雑化、ひどく分業化し、様々な虚構がまかり通っている社会の構造ゆえに翻弄されたり、そこを上手く泳ぎ渡っているつもりの人間でも所詮それに振り回されてしまっている。 そこのある種の悲しさ、虚しさ、人間性の喪失といった所を描いているように思います。

人間は、色々種類はあるにせよ、それなりに社会、組織を作って、ほとんどの人はそのどこかに属する形で生きている。 しかし、その組織の構造の中で、自分の位置を見出そうとしたり、その中で、より高い位置に昇ろうとしたり、利を得ようとしたりと、様々な自身の願望をその組織の中で達成しようとしています。

しかし、これらの作品を読んでいると、結局、今の我々と言うのは、その属している組織の価値観、規律、ルール、常識と言う物に知らず知らずのうちに縛られている。 そして結局は、その組織という物に寄りかかって生きてしまっている。(もしくはそうせざるを得ない状況になってしまっている) そんなような気がしています。

仮に、自分は自営業だから自分自身、誰にも拘束などされていないと思っている人でも、今の日本の社会で営業活動で収入を得ようとすると、その時の社会状況や、流行など、なんらか社会の流れに振り回されざるを得ないのが現実だと思います。


本当に、“自分は自分の2本の足で立って生きている”。 と言い切れる人はどのくらいいるものでしょうか? または、組織と言う物がその構成員を組織のために縛るのではなく、構成員がより幸福に,自由に振舞うことが出来るように存在するような関係、そんなことがありえるのか?実現可能なのかどうか?

正直分かりませんが、今大手を振ってまかり通っている様々な“あたり前”,“常識”といったものが何もかも胡散臭い、きつい表現を使えば虚構のように思えてくる読後感です。


あまり心楽しい読後感ではありませんが、読んで非常に良かったと思います。 是非一読をお薦めしたい作品。 ちょっと自分が既成概念に囚われすぎていないか?疑いもせず受け入れている物が多すぎないか?と自分の心を見返してみる、いいきっかけになってくれるものではないか?と私としては思った作品集です。
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2008年05月28日

本>旅行記・エッセイ 「あやしい探険隊 焚火酔虎伝」 作:椎名誠

「あやしい探険隊 焚火酔虎伝」,作:椎名誠,角川文庫です。
“あやしい探険隊シリーズ”の第6弾に当たる作品。 このところ順番どおりに読んでいますね〜。 この作品は一つ前の“アフリカ乱入”の次の作品でした。
(だからどうだというわけでもないのですけれど・・・)


この巻は、章にして6編+あとがきという構成で、行っている場所は国内ですが色々で、まあ、“あやしい探険隊シリーズ”の短編集といった構成。

登場してくるメンバーは、「東ケト会」と言うよりも、最近の主要メンバー「いやはや隊」の方がほとんどといった感じ。 文体は、いつもの椎名節なので、まあ軽く、楽しく読めます。

結構印象的であったのが、この巻のタイトルにも入っている“焚き火”ですが、昔は、大きく派手な焚き火をされていたそうですが、最近は、すっかり穏やかに、且つしみじみ静かに(しかし時々は騒がしく)焚き火を囲むといった感じになっているとのこと。
そういえば、幾つか前に読んだ作品では、確かに海岸で、大勢でかがり火と言えるくらいの焚き火をしていて、火吹き男のみならず火吹き女も出現したキャンプの様子なども描かれていたのを思い出しました。


作家さんにとっては、ずいぶん時間が経っているでしょうから、隔世の感があったのかもしれませんね。 読んでいるこちらは短期間で読んでいるので、あんまり分かりませんけれど。

このシリーズ、かなり気に入って、結構続けざまに数も読んできたのですが、ちょっとしばらくの間お休みしてもいいかな?という気分になっております。 あまり続けざまだとこういうのは飽きがどうしても来てしまうので、少し間を空けて、思い出した頃にまた次を漁ってみようかと思っている今日この頃です。
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2008年05月26日

マンガ> 「とりぱん」5巻 作:とりのなん子

とりのなん子作,の「とりぱん」5巻,講談社,ワイドKCモーニングです。
東北在住の作者によるコミカル自然観察マンガの第5巻。

(今日の2つめのマンガネタということで)

この巻は、新たに仕事場として借りた家の庭の作物や、植物ネタが結構多かったように思います。 放置しっぱなしにしていたジャガイモが意外と獲れたりとか、捨てただけのヒマワリの種(実はかぼちゃだった)が勝手に成長したりと、おそらく予想外のことが色々起こったのであろうなぁと推測されます。 この植物、野草、雑草ネタは結構好きです。

あと面白かったのは、トンビが、なぜか牧草地が刈られた後の地面に降りてきている。 見通しがよくなった場所で狩りをしようとしているのかと思うと、なんと、牧草を刈るのに使用したトラクターに引かれたねずみを拾いに来ているとのこと。 まあ、やっぱり楽な道があるならそっちを選択しますよね。人間だって、動物だって・・・。

また、この巻では、この作家さんのアシスタント経験のことが結構ネタとして多く描かれていたように思います。 まあ当然なのかもしれませんが、やっぱり始めはアシスタントとかして色々吸収したりと言う時期があるのですね。 これだけネタを書けているということは、それ以上に色々経験されていると言うことでしょうし・・・。

その他では・・・、トイレのサッシに住み着いたクモのネタでしょうか。。一度おいしい物を食べると、それ以下のものを受け付けなくなるとは・・・・まあ、飢餓状態になればそんなことはしないでしょうけれど。 あんまりグルメになるのも考え物。我々人間に当てはめたいネタでした。

次巻は、秋に発売との告知が、あとがきマンガのところにちょこっと書いてありました。
半年後くらいですかね? まあ次を楽しみに待っていようと思います。

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マンガ> 「(有)椎名大百貨店」 作:椎名高志

「(有)椎名大百貨店」,作:椎名高志,サンデーGXコミックス,小学館です。
(今日はマンガネタを2つ書いてみます。その1つめということで・・・)
「[有]椎名百貨店 超 GSホームズ極楽大作戦!!」に続く、椎名高志さんの短編作品集。
今回収録の作品は、小学館だけでなく、他の出版社で発表された作品も収録されています。
全部で7編の作品が収録、そのうち“パンドラ”が全3話、“TIME Slipping Beauty”が前後編なので、お話的には、4つのお話し。


全体の感想を書きますと、どの作品もこの作家さんの短編の味である、コミカルでハートウォーミングという所は共通で、どの作品もいい感じにまとまってある感じで、安定した作品集という感想でした。

個人的には、“TIME Slipping Beauty”,扱っているテーマとしては、時間移動もので、内容的には、人の命を救えるとして、何を(またはどちらを)優先するかの問題に直面した時に?という結構重いものですが、最後が救いがある形でのハッピーエンドになっていたので、まあいい読後感。 個人的には、もうちょっと切ない感じの終わりでもいいかも?とか思ったりもしましたが、これはこれで、いい終わりかた。

“蜘蛛巣姫”,こちらのほうが、話のテンポや、会話のノリとツッコミが一番コミカルな感じで、気楽に楽しめたラブコメ調のお話し。 お話しの展開としては、こちらのほうが切ない終わりなのですが、なぜか、より明るい読後感。

この作家さんの短編集は、これまで私の知る限りは、全て、“椎名”+“百貨店”がタイトルに入っていたのですが、今回、“椎名大百貨店”としてしまうと、このタイトルは、今回で打ち止めで、以降は何か別のタイトルをつけるのでしょうかねぇ?
割といいタイトルのつけ方と思っていたので、そうだとすると残念ではありますが、またいいタイトルつけてくれれば、それはそれでOKです。

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2008年05月24日

アート> 「豊原康雄展」 ギャルリOU

地下鉄 天満橋駅近くにある、ギャルリOUで今日まで開催の(5/12〜5/24)の「豊原康雄展」を見てきました。

この方の作品は、しっかり何かを描いてある、作ってあるという具象作品では無いのですが、純粋にただ模様か?というとそうとも思えない、見ていて何かを想起させるものは持っていると思わせる作品でした。
基本的には、オブジェ作品と言う所かと思います。 床置きの作品,床から天井まで柱状に伸びた作品,壁掛けの作品も半立体のオブジェの要素が強いように思いました。


基本の作風は、まず色的には白一色、蝋をたらしたようなつや消しの表面の色、質感の地の白があって、そこにチューブから絞り出したような感じで白の盛り上がりが作られています。
こちらの白は質感が違って艶があり、光もきれいに反射する感じで、質感は地の白とは異なる、その辺りで変化がある作品になっています。 この辺り、微妙な質感の違いを感じさせてくれて変化もあるというのは個人的には好みです。


ただ私は、階段を上がる踊り場に最初に展示してあった作品を見たときに、なんだか、虫がのたくっているように感じてしまい、その印象がずっと付きまとってしまったため、どの作品を見ても、どうしても虫を連想してしまいました。(作家さんの製作意図とはずいぶん違う感じ方をしてしまったかなぁ?と思いながら見ていました)
屋上スペースに、細くチューブ上にうねっていたオブジェ作品を見ても、なんだか寄生虫を連想してしまいました。


DM、及び、会場に貼ってあった、作家さんの言葉を読んでみると、「こちら側」と「向こう側」と言う表現を作家さんは取っておられるのですが、完全に個人的な私見ですが、この言葉を作家さんは、
「こちら側」=人が認識できたり意識できたりする範囲(意識的な範囲)
「向こう側」=意識して認識したりしている部分意外、またはそこよりも深い、奥の範囲(無意識的な範囲)
という区分けとして使っておられるのかなぁ?と思いました。
そして、「こちら側」の部分で感じたりつくったりしない、むしろ「向こう側」に従うように感じたりつくったりすることを目指している。。。。 こういった難しいことは例によってさっぱり分からない人間なので、これは完全に自分勝手な,私個人の解釈でしかありませんが、そういったことなのかなぁ??と思った次第です。(間違っていたらごめんなさいです)


単純に作品としては、地の蝋のような感じの質感、ひびの入り方、広がり方も面白かったですし、そこから“うにゅ”と盛り上がったり上に置かれているような艶のあるチューブ状の白も面白かったので、オブジェとして、質感として単純に模様としては楽しめた作品。
ただ作家さんの意図や考えを感じられたとはとても思えなかったので、感想としては複雑な、ちょっと申し訳ない気分でした。
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2008年05月22日

本>旅行記・エッセイ 「あやしい探険隊 アフリカ乱入」 作:椎名誠

「あやしい探険隊 アフリカ乱入」,作:椎名誠,角川文庫です。
“あやしい探険隊シリーズ”の第5弾に当たる作品。 これは、巻末のあとがきにちゃんと順番が書いてあったので、確かに5作目です。
私はこの“あやしい探険隊シリーズ”を本屋で目に付いた順番に適当に買って適当に読んでいるので、順番がバラバラなのですが、これは珍しく、ひとつ前に読んだ、「あやしい探険隊 海で笑う」の次の作品でした。


この巻は、“あやしい探険隊”の内、5名でアフリカの主にサバンナ、キリマンジャロを旅した旅行記になっています。 アフリカ乱入というタイトルになっていますが、アフリカ縦断とか横断とか、ぐるっと一周と言うわけではなく、国で言えば、ケニヤとタンザニアの2カ国くらいのようです。

主に、サバンナとその動物たちとの出会い,ナイロビの夜,マサイの村、男たちとの出会い,キリマンジャロ登山、そしていつもの如く起こる様々なトラブル、珍エピソードを椎名節で楽しく読ませてくれる一冊といった所です。


まあ概ね気楽に読ませてくれるのですが、ちょっと読んでいて、なるほどと、そして結構真面目に考えさせられる気分になったのが、高山病や、潜水時の窒素酔いに関しての記述で、色々書いてあるのですが、要は気圧,酸素濃度のわずかな変化、または、50メートルくらいの潜水という、地球全体のレベルで計れば、まことに小さな、誤差といってもいいレベルの環境の変化でも人の体というのは異常をきたしてしまう。 えらそうに言っても人というのは所詮その程度の脆い存在なのだと・・。

まあ、あんまり卑下するのも、悲観的になりすぎるのもいけないわけですが、時々は、こういうことを考えて、ちょっと自らを省みることも必要なことですよね。 謙虚さと言うことを時々自分に意識的に言い聞かせないといけないのだろうなぁと思ったのです。 結構気がつくと、自分って調子に乗っていて、振り返ると冷や汗が出るというか、ちょっとまずかったなぁと思うことをやってしまっているような気がします。

変に堅苦しいことを書きましたが、基本的には気楽に楽しく読めばいいと思う作品です。
なかなか、この登場人物の方々のようには、活動的にも、物にも動じず、というわけにはいかない私としては、読んでいてなんともうらやましい限りです。
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2008年05月19日

アート> 「線の発見」 大阪市立近代美術館(仮称) 心斎橋展示室

地下鉄 心斎橋駅近くにある、大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室で開催中(4/26〜6/8)の「線の発見」を見てきました。

“線”ということ、作品における“線”を「かく」こと「わかつ」ことということで云々・・・・・と、難しいことがチラシには書いてあります。 正直作品を見るときにはそういう難しいことはさっぱり分からないので、今回展示されていた作品が、どう“線”と絡んでいるのか?良く分からない物もありました。(でも、これを企画した人にはきっと判っているのでしょうけど・・)

しかし、展示されている作品は、かなりいいと感じたものが多く、足を運んで良かった展覧会。

とりあえずは、具体の作品:吉原治良、白髪一雄さんといった辺り、他にも田中敦子さんとか。 アンフォルメル的な抽象では、今井俊満さんといったところが面白かったです。

後は、奥の展示室に展示されていたミニマル的な表現の作品、ドナルド・ジャッド,桑山忠明,その他白と灰色のストライプの抽象作品とかも面白かったです。
昔は、ミニマルアート的な表現を見ても、ちっとも気持ちに引っかかる物が無かったのですが、最近は、非常にいいなぁと、とてもすばらしく感じます。(自分の感覚は時間と共に変わっていっているという実例です。)


その他、具象的な表現では、墨かインクで描いた裸婦の素描が味のあるいい表現。 (しかしその他の具象作品はそんなにいいとは思えませんでした)
具象、抽象、ミニマル、水墨画等々色々な表現の作品が展示されているので、際立って強烈な印象を受けた作品は無かったですが、色々な作品を見られるという点でなかなかいい展覧会かと思いました。
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2008年05月18日

アート> 「三人展・岡アゆみこ/中西周代/出口十糸」 海岸通ギャラリーCASO

地下鉄 大阪港駅が最寄り駅の、海岸通ギャラリーCASOで開催中(5/13〜5/25)の「三人展・岡崎ゆみこ/中西周代/出口十糸」を見てきました。

岡アゆみこさん、中西周代さん、出口十糸さんの3人展。 お三方ともその作風は抽象平面という展覧会。 この御三人の同じ三人展は、昨年5/29〜6/17で同じくCASOで開催されていて、昨年度も見ております。 2007年6/4にその感想を記事に書いています。

基本の作風は、それぞれ変わっておられないという感想でしたが、それぞれに微妙な変化が見ていて感じられて(まあ私の錯覚かもしれませんが)非常に楽しめました。

岡アゆみこさんの作品は、基本はいつもの引っかいた線でのぐるぐるの模様の作品。 今回は、いつもよりは、よりぼんやりした感じにしてみたいと考えておられるとのこと。
そう言われて見ると、最も大きな作品の引っかきは、いつもの作品よりもかなり幅広の引っかきで、その他たくさん展示されていた小品の中には、引っかきではなく、渦巻き的な模様ではありますが、ナイフかコテで塗ったようなタッチで流れを作っている作品などがあって、これなどは、作家さんの今の考え、方向が、現れているのかなぁと思いました。


出口十糸さんは、奥の壁面に大作が4つ。 まず感じたのが、同じサイズの作品が間隔としていいバランスで配置、展示されていて非常にいい展示になっているという印象。
作品的にも、この方のつや消しの感じの白と濃い目のイエローオーカーくらいから更に深く、濃い茶色が非常にマッチしていて個人的に非常に好みの作品です。
今回は、茶色の模様が結構大きくなっていて、大きな木の葉と言う感じの形(又はラグビーボール状)の大きな茶色の模様がぐいっという感じで描かれていたのですが、これも違和感を覚えることなくかつ迫力があって、非常に良かったです。


中西周代さんの作品は、紙に幾度も様々な色を重ねてその面白さでいい感じ。 最後に置いてあるのは、ほぼ一色ですが、端とか塗り残しの所とか見ると、かなり色々な色を重ねた結果の作品であろうと思われました。

三人三様、それぞれの魅力で、それぞれに非常によかった作品展でした。 前回の記事との間隔を見ると、一年に一回くらいやられている三人展なのかもしれません。 また開催されたら足を運んでみたいです。
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2008年05月15日

マンガ> 「ザリガニ課長」1巻 作:そにしけんじ

「ザリガニ課長」1巻,作:そにしけんじ,アフタヌーンKC,講談社です。
タイトルそのまんまに、会社の課長がザリガニという設定で、その生態、ザリガニの大きさ(約13cm)で会社生活をするというところから来るちぐはぐさを、ゆるめのノリで笑わせてくれる4コマギャグマンガ。

“それがどうしたの?”と冷静に聞かれると困ってしまう,まあそれだけの漫画ということなのですが、どうもツボにはまってしまったという感じで、随所に現れるザリガニの生態ネタが面白く結構笑ってしまいました。

基本的には、ザリガニ課長の存在そのものは、会社のみんなにあたり前に受け入れられていて、ザリガニゆえに起こるへんてこな所に突っ込むのは、新入社員の村上君の役目、彼の視点がそのまま読む側の視点でもありという感じです。

一番笑ってしまうのが、ザリガニに非常に詳しいOL、まりこちゃんがらみのネタでしょうか。 ニボシを水槽に入れるときは、頭を取らないと浮いて食べにくいとか、“ザリガニ豆知識”,“ザリガニ飼育メモ”のコーナーで紹介される、実際のザリガニの生態に即したネタとか、笑わせてくれつつも、知らない知識を紹介してくれるので、“ほ〜”っと感心していまいました。

巻中のカラーページも、ザリガニに特定の種類の餌を与え続けると色が変わるという事実を使ってのネタなので、とことんこだわっています。

1巻と言うことなので、まだ続巻が出てくるはずで、どこまでこの生態ネタで続けていけるのかは分からない所かと思いますが、とりあえず私は十分に楽しませてもらいました。 2巻も出たら手を出すでしょうね。

ザリガニが課長という不条理な設定自体をとりあえず受け付けないと、読んでも全く面白く無い作品と思いますので、楽しめるかどうかは読む人の好み次第でしょう。 大丈夫そうな人にだけお薦めという作品かと思います。 

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2008年05月13日

本>時代・歴史 「人間の剣 江戸編」(一),(二) 作:森村誠一

「人間の剣 江戸編」(一)、(二),作:森村誠一,中公文庫です。
拵えは粗末ではあるが、その刀身は名状しがたい色合いを持ち、青い炎が噴きあがるかに見え、そして持つものに不思議な気力、力を与える妖剣“無銘剣”,その変遷に託して、歴史の様々なエポックを描いている作品。

2008年3/26の記事で書いた、戦国編に続いて、江戸編を読みました。 この江戸編は3巻まであるようなのですが、とりあえず本屋さんにあった1,2巻を読んだので、その感想を書いてみます。(3巻は、また入手して読んだら感想を書いて見たいと思います)

戦国編に比べると、江戸時代という大きな社会の体制には変動が無かった時代のことを描いているので、どちらかと言うと、歴史の勝者となった側よりも、敵わぬまでも一矢を報いようとしたものであったり、社会の表舞台から落ちていく側を描いているエピソードが多いように思いました。

主家の存続のため、あえて叛臣の汚名を着た形の、黒田家の栗山大善,伊達家の原田甲斐。
絶望的な闘いに進まざるをえなかった天草四郎を頭にいただいた唐津天草の庶民たち。


読んでいて、ある意味人間の嫌らしさ、醜さ、そしてめぐり合わせの悪さゆえの悲劇をもっとも感じたのが、“愚かさの犠牲”の阿部一族のエピソード。 一番腹立たしいのが、無責任に無思慮にあるいは嫉妬から陰口を叩き、陰で阿部一族を追い詰めて行った無名の藩士たちの言動です。 なぜ人は人を無責任におとしめてしまうのでしょう?噂と言う形の無名性による非難であるだけに余計に始末が悪い。

自らの言動がどう人を傷つけるのか?もしくは傷つけはしないか?と考えてから発言しようとはなかなか人はしないようですね。(もちろん私だって完璧にそういうことをしていないとは到底言えませんが、少なくとも意図的に人を傷つけるような発言は出来るだけ控えたいと一応は思っています・・でもやっぱりまずい発言とかしてしまい、反省しきりと言うこともたびたびです・・・)
この無名性の悪意の噂と言う所、何となく、今のネットでの匿名性による非難や、悪意の噂とか、人の秘密を流してしまうとか、という辺りを連想してしまい、非常に不気味に思ったのと、人の嫌な所と言うのは、あまり変わってはいなくて、結局形を変えて出てきているだけということなのかなぁと思い、やや暗澹たる気持ちになったエピソードです。


この2巻の終わりは、8代将軍吉宗が将軍職に着く辺りで終わっているので、3巻でもう少し描かれて、次の“幕末維新編”になっていくのでしょうね。 取り敢えず、次の江戸編3巻を本屋さんで探してみようと思っているところです。
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2008年05月12日

アート> 「Thinking Print vol.2 もう1つの写真表現」 京都芸術センター

阪急 烏丸駅近くにある、京都芸術センターで今日まで開催の「Thinking Print vol.2 もう1つの写真表現」を見てきました。 4/11〜5/11の開催です。

“もう1つの写真表現”とあったので、基本的に写真の作品が展示されているのかと思って行ったのですが、展示作品はほとんどシルクスクリーンとかリトグラフとか版画作品でした。 写真を要素のひとつとして使っていた作品も結構あったのですが、いわゆる“写真”という言葉からイメージする何かを写した、何かを切り取ったという作品と言うのではなく、それプラスアルファをしようとしている作品を集めたもののように思えました。

タイトルで“Print”という言葉が使われているので、基本的に版画含めて複製できる手法で制作された作品の展覧会と言うことなのでしょう。(Photographだといわゆる写真なのでしょうね)

展示作品は、確かに色々趣向を凝らしている表現がありましたが、正直に言ってそんなに面白いと感じるものは少なかったと言うのが感想です。
どの作品も色々言いたいことが、表現したいメッセージがあるのだろうとは思ったのですが、画面を見たときにぐっと気持ちに来るものが無くて、表面的に眺めてきただけという感じでした。

あえてお一人名前を挙げてみると、西出元さんの食べ物をそのままストレートに写した作品がシンプルであっても力強く思えて、一番印象に残っています。
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2008年05月10日

本>自然・博物 「雑草のはなし」 作:田中修

「雑草のはなし」,作:田中修,中公新書です。
春−初夏−夏−秋という順番で季節毎の雑草たちの、その名の由来、関連知識等々、その生態について分かり易く紹介してくれている、読み物としても面白い雑草に関しての博物エッセイとでもいう感じの一冊。

特に印象的なのが、雑草たちがいかにして生き延びる、又は繁殖しているのか?という辺りに力点が置かれて解説がされているように思った点でしょうか。
種子を大量に作るもの、踏まれても生き延びる形態を持ったもの、猛烈に成長するがゆえに生き延びるもの、その生態は色々ですが、それぞれ、その環境に適応し、生きているという所を知ることが出来てなかなか面白かったです。


また、植物も一日の昼の時間、夜の時間で葉が開いたり閉じたり、冬の寒さを一度経験して春になったら芽を出すとか(寒さを経験しないと出ないそうです)、ただじっとしてる訳ではなく、ちゃんと必要な情報は認識していて、それに応じて生きているという辺りも知ることが出来たのも良かった所です。

別に、脳という器官があるわけでは無いので、人間のように認識しているわけではないのは確かですが、色々な手段で、生きるに必要な情報はちゃんと取得して対応出来るようになっているわけで、何となく、植物というのは動かないから下等な生物とか思ってしまったりするのですけれど,そういうわけでは全く無く、単に生き延びるための一つの手段として、動かないという生き方を選択した生物なのだと、動物とは違う方向に行った生物種であるだけなのだということを、これを読んで、改めて認識し直したと言った所です。


難を言えば、せっかくの写真が、巻頭にまとめて載せてあるので、ちょっと文を見ながら写真も見るというのがやり難い所でしょうか?もう少し本の途中に入れてくれるとか、イラストでもいいので文章と絵が混在してくれているともう少し読み進み易かったような気がしています。 でもなかなかいい,手を出してみてよかった一冊ではないかと思っています。
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2008年05月07日

アート> 「液晶絵画 Still/Motion」 国立国際美術館

中ノ島にある、国立国際美術館で開催中の「液晶絵画 Still/Motion」を見てきました。 4/29〜6/15の開催です。 この美術館のB3Fでの開催です。

最近の液晶ディスプレイの高画質化、普及の度合いなど、その存在は我々にかなり身近な物となってきており、実際、多くの作家さんが、その表現の手段として液晶ディスプレイを使われているとのこと(チラシの文章によると)。

で、そのディスプレイを使用していたり、プロジェクターを使ったりといった映像表現の作家さんの作品を展示した展覧会。 全部で15人の作家さんの作品が展示されていました。

プロジェクターを使用した作品,液晶ディスプレイを使用した作品がありましたが、液晶ディスプレイを使用することの特徴的な点は、プロジェクターでの映像作品の場合、周りを暗くしないといけませんが、液晶ディスプレイの場合は、自身が発光するので、周りは明るくても大丈夫です。 そういう点では、これまでの平面絵画の展示と同じように見る側に提示できると言う点にあるかと思いました。

ブラウン管でのビデオ作品の展示もこれまで存在していましたが、ブラウン管という存在はそれ自体が厚みと重みを持っていて、それ自体がオブジェとしての実体を持って空間に存在します。 それと比べても、今の薄型液晶ディスプレイは、厚みも薄い(厚めの平面作品くらいの厚みで済んでいる)し、壁掛けと言う状態に出来るので、これまでの平面作品くらいの存在感で且つ動きも見せることが出来るという点が、異なる所かと思いました。
(縦横比も、特注品であれば、自分の好きな比率に出来るでしょうから)


作品的には、いいなぁと思ったもの、どうもいま一つピンと来ないもの、これを映像にする意味があるのかな?と疑問を持ったもの、と感想は色々でした。

これは確かに、液晶を使って作品としたほうが面白いと思ったのは、
“鷹野隆大さん”の電動ぱらぱらと言うタイトルの3作品。 たくさんの男女の服を脱ぐ様子を、上半身、または下半身をそれぞれ2分割して、上下で別の映像を流すといった作品。 これは、液晶ディスプレイという機材を使用するのに合っているいい表現に思えました。 作品的には、人の性の認識や、問題を描いているように思えました。
“楊福東(ヤン・フードン)さん”のモノクロの映像。 複数の画面が同時進行で色んな映像が流れるので、この展示では確かに液晶ディスプレイだと部屋を明るく出来るので、見る側は非常に楽だと思いました。


表示のための機器に関係なく映像として面白かったのは、
“ミロスワフ・バウカ”の“壁”,“Blue Gas Eyes”の2作品。 単純にガスバーナーの炎の揺らぎを映していたり、白い壁をそのまま写しているだけの作品ですが、こういった作品のほうが至極単純に輪状の炎の模様としての面白さ,壁の質感のそれが感じられて私としてはとても良いと感じました。 映像作品と言うのは、結構要素が多すぎて、ある意味饒舌すぎて、私にとっては結構見ていてしんどいことが多いのですが、これは、シンプルですごく良かったです。

“チウ・アンション”の水墨表現でのアニメーション的な作品も結構いいと思いました。 どうも私は、見る要素が多いと、しんどくてダメなのかもしれません。 この作品は、モノクロ表現で、しかも絵としてはシンプルな方向にデフォルメされている表現でのアニメーションなので、何となく見ているのが楽な印象でした。

“イヴ・サスマン”の“浮上するフェルガス”も良かったです。 描かれているはずの絵画の上に霧がかかっていてほとんどが見えない状態なのですが、その霧が本当に極ゆっくりと動いて、見えるところ見えないところが少しずつ変化していくといった趣向の作品。
これも、映像としてなかなかいいなぁと思いました。


液晶を使うというのは、現実には、まだまだ高価な機器なので、そうそう全ての人が(特に大画面になればなるほど)使えると言うわけでもないのでしょうが、上手く作家さんの表現手法と合致すれば、いい作品になるのだろうなぁと思った次第。 そういう点では足を運んで正解であったと思っています。
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2008年05月06日

本>文芸 「白い人・黄色い人」 作:遠藤周作

「白い人・黄色い人」,作:遠藤周作,新潮文庫です。
この本は、2つの作品「白い人」と「黄色い人」の中篇と言うくらいの長さの2編が収録されたもの。 でも、両作品とも、描こうとしているテーマが色々似通っているので2つで1つの作品と言う構成にしてあるのかもしれません。
この作家さんの初期の作品とのことです。


「白い人」は、2次大戦辺りの時代、一人のフランス人が、その抑圧された少年時代の体験と、自身の容貌に関するコンプレックスから他者に対して被虐的な復讐の念を持つに至り、同じくコンプレックスを持ちつつも神への信仰を心の拠り所にする神学生を追い詰めていく様子を描き,何をもって生きるのか?と言う辺りの根源の問いがあるように思える作品。

「黄色い人」は、同じく2次大戦あたりに、クリスチャンとして洗礼を受けた日本人青年のどうしても、日本に来た二人の神父(一人は、タブーを犯したゆえに追放されている)のようには、神への信仰を維持することが出来ない状況を二人の神父の生き様とそれぞれの苦悩も描きつつ、日本人にとって、本当に西洋の人たちのように神というものを捉えられるのか?という信仰の問題を描いているように思います。


私は以前、この方の作品で、「海と毒薬」、「沈黙」辺りを読んでいて、この2作品は非常にすきなのですが、これらの作品のテーマの源流がここにあるように思える2作品です。

私は、日本人で、キリスト教の人ではなく、かつ一応仏教ではありますが、全くいいかげんな仏教徒なので、この2作品で描かれているような、キリスト教のような1神教的な考えでの苦悩には全く無縁で、こと信仰の問題に関しては、ほとんど実感として、登場人物たちの苦悩を自分の問題として感じることは出来ませんでした。

特に、「黄色い人」の中で、キリスト教のタブーを犯してしまったがゆえに、教会を追放されたフランス人が、ずっと、神の教えを裏切ったことに対して懊悩している様は、私には理解しがたいものでした。 確かに、規律を破り、日本の女性と関係をもったのは確かで、自分が守るべきと思っていた規律を破ってしまったという自責の念は分かるのですが、それがあまりにひどいように私には思えたし、それに囚われて、何も出来ないというのは逆に良く無いように思いました。

失敗を一つ犯したことは確かでしょうが、女性と関係を持ったのなら、“こうなった以上は、この女性と一生添い遂げよう”と思って、仕事して(どんな仕事でもいいと思います)稼いで、一家をちゃんと養って生きいけばそれはそれで立派な一生だと思います。

また、どうしても何か神様を信仰しないと気持ちが落ち着かないのなら、キリスト教の中でも妻帯を認めるような宗派があればそれに改宗するとか、日本だったら、それこそ八百万ほどの神様がいるので、適当に居心地のいい神様を選んで信仰すればそれでいいのでは? などと私としては思うのです。

ただ、このような考え方自体が、キリスト教的な考えとは相容れないもののようで、この作家さんの描く一つの大きなテーマの一つであるようなのです。
でも、私のようないい加減な人間は、そんなにも考え込まなくてもいいのでは?と思います。 どうも、1神教のように、唯一絶対の存在というのを仮定して、それが何でも出来る、何でもそこに帰着する存在,というものになると、融通が利かないというか、“まあええがな”という寛容さに欠けるような気がしてしょうがありません。


神とか仏とかは、人間がその時その時の都合に応じて作り出した概念に過ぎないと思うので、そういう存在を仮定することで、生きる上での自制心になったり、親切心になっている内はいいのですが、それ以上に人間を縛るというのは、どうも本末転倒になっているような気がしてしまいます。

信仰と言う側面をのぞけば、人間の罪を犯すこと、犯さざるを得ない業のようなものを描いていると言う点で、十分に読み応えのある2作品で、いい作品と思うのですが、こと神様関係のことに関しては、違和感を覚えてしまったという読後感でした。
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2008年05月04日

本>エッセイ 「最後の晩餐」 作:開高健

「最後の晩餐」,作:開高健,光文社文庫です。
食に関して、作家さんが思うこと、感じることが綴られている、エッセイと言えなくも無い作品ですが、食に関するエッセイと言う辺りから通常連想しそうな軽妙であったり、コミカルであったりという、気楽に、軽く読めて楽しめるといった作品とはかなり趣が異なる作品。

まず、経済的や社会状況的に極限に近い状態になったときの食への関心や執着から始まり、最後は、食人とその問題に至るまで。 食を題材としながらも、それをきっかけにしてむしろ我々の欲望,社会的な問題,執着ゆえに起こる様々な問題を語っているように思います。

もちろん、食べることにとことん執着して、おいしい物を食べて楽しもうと言う、軽めの章も存在していますが、全体としては、かなり重い目の作品と言えると思います。


この作家さんの語られている範囲は古今東西、非常に幅も広く奥も深く、実に博識で、登場したり、引き合いに出されている事柄の3割くらいしか、ついていけてない感じがします。 しかし歴史的な事柄や、問題点等、全く知らなかったことも色々出てきて、そういう点では、読んでよかったと思います

ただ、ここまで執拗に描写されるとそれもまた、一つに執着したときの人間が見せるある種の不気味さをちょっと感じてしまうときもあり、ちょっと読み進むのがしんどい感じでした。 もちろん、物事にある程度は執着するのは悪いことではなく、むしろそういう対象を見つけられたということはとてもいい事です。 しかし、執着がすぎると時に人迷惑になるほどになってしまうので、やっぱりバランスは必要です。

いわゆるグルメ的なエッセイではないので、そういうつもりで手を出すとちょっとしんどい作品。 しかし、いいこと、考えさせられることがたくさん出てくると思うので、しっかり考えて読むつもりで読む分にはとてもお薦めの作品ではないかと思います。
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2008年05月03日

アート> 「COLOR×COLOR」 伊丹市立美術館

伊丹市立美術館で開催中の「COLOR×COLOR −色を奏でる作品たち−」を見てきました。 4/12〜6/8の開催です。
この展覧会は、伊丹市立美術館の収蔵作品の展覧会で、その中でも「色」をテーマとした、またはそこが魅力と言う作品を展示しようとするものだそうです。

あまり大作とかは無かったですが、割といい作品が展示されていたのではと思います。
2Fの展示室の作品では、派手では無いですが、赤と緑の組み合わせがいい感じの“コルネイユ”の「鳥の陶酔」,一つの画面はほぼ一色とその同系色でまとめられていた谷川晃一さんの作品,叙情的というか詩的なやさしい感じ。
色としての魅力は感じませんでしたが、ドローイングの描線がやはり良いと思ったのが“ヘンリー・ムア”の作品。
後、“ああ”と思ったのが、つい先日訃報を新聞等で目にして、非常に残念に思った“白髪一雄さん“の作品が2枚、しかしこれはリトグラフで、小品であったせいでもあるのか、この方の作品の魅力として私が感じているダイナミックさ、圧倒的な迫力といった物は展示の2枚からは感じることは出来ませんでした。


地下1Fの展示室の作品では、“鷲見康夫さん”の作品、きれいな色使いの表現ではありませんでしたが、やはりぐっと来るものがありました、そろばんでの描写の線はやっぱりありました。
奥の展示室全部に展示されていたのが、“孫雅由さん”の作品で、展示点数としてはこの方が一番たくさんでした。 この方の作品は、黒のドローイングの線+数センチくらいの俵型の色の塗りがたくさん描いてあって流れ、構成を作っている抽象平面作品。
確かにカラフルな画面ではありましたが、一枚の画面の中で使われている色数はそんなに多くなく,意外と落ち着いで見ることが出来ました。 なかなかいい画面だったと思います。(うるさいと思うことは無かったです)


色々な傾向の作品を見ることが出来るので、なかなかいい企画ではないかなぁと思いました。 入場料も安かったし、お得感を感じた展覧会でした。
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2008年05月01日

アート> 「中根和美展」 海岸通ギャラリーCASO

地下鉄 大阪港駅が最寄り駅の、海岸通ギャラリーCASOで開催中(4/29〜5/11)の「中根和美展」を見てきました。

一つ前の記事と同じく見たのは昨日です。 CASOは複数の展示室が存在しているので、一回行くと、複数の作家さんの展示が見られます。(スペース全体を使っている展覧会の時なら別ですが) この作家さんの作品も非常に印象に残ったので、感想を書いてみたいと思います。

この方の作風は、抽象平面といっても良いと思います。 タイトルとかを見てみると、何か具体的なもののイメージがあるようにも思えましたが、実際に描かれている模様、構成は、ほぼ抽象模様といってもいい感じです。(どこか有機的な模様という感じ)

私が非常に惹かれたのは、その色の感じです。 白、赤、青、など、色としては色々使われているのですが、そのマチエールが顔料を使っているのか?と思われるような、粒々感のあるつや消しのような表面の感じで、落ち着いた印象で非常に良かったです。

で、作家さんがおられて、少しお話しを伺うことが出来たのですが、画材としてはアクリルを使われているそうで、かつ、一度塗った表面をごしごしこすって色を落としたりもされるそうで、おそらくこのような画面の感じを出すには色々試行錯誤された結果なのだろうなぁ。。と具体的なことは分からなかったものの、やはり感心して会場を後にしました。


この方は、初めて作品を見たのですが、非常に面白かったです。 また行ける範囲で個展をやられるようなら、是非また見てみたい作家さんです。
posted by 大阪下町オヤジ at 00:46| Comment(0) | TrackBack(0) | アートなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

アート> 「小泉桂子展」 海岸通ギャラリーCASO

地下鉄 大阪港駅が最寄り駅の、海岸通ギャラリーCASOで開催中(4/29〜5/11)の「小泉桂子展」を見てきました。

見たのは昨日なのですが、昨日は書く元気が無かったので、今日書きます。
何回かこの作家さんの展覧会を見ています。 この作家さんの基本の作風は、木のパネル、または着色した木の角材等に、粘土(薄く延ばして、細いストライプ状に凸凹がついている)を横ストライプ状に貼ってあるという抽象作品。


今回は、長さ十〜数十センチくらいの着色した角材状の木の棒に、粘土を貼り付けたものを、たくさん壁面に貼り付けて壁全体でひとつの作品というインスタレーションといえる展示としてあるものでした。
基本的には、下のほうは、びっしり、隙間なく貼ってあって、上に行くほど間が少し開いていたり、高さにギャップがあったりして、模様になっているという構成。
(棒グラフの集まりみたいな感じとでも言ったらいいのでしょうか?上手く言えませんが)


もう一つ、今回の展示は、上記のような感じで、ある程度は貼ってあるのですが、後は来場者に好きに貼ってもらって、みんなで完成させようと言う参加型の展示となっていることも今回の特徴。 そういう意味では、初日に行った私は、まだ途中の状態しか見ていないことになります。 最終的にどういう展示になっているかは、最終日まで分からないのでしょうね。 こういうのもまたひとつの趣向と思いました。
posted by 大阪下町オヤジ at 00:15| Comment(0) | TrackBack(0) | アートなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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