2008年06月30日

アート> 「原大介展」 R&Pギャラリー

阪急 夙川駅を出てすぐにある、R&Pギャラリーで開催中の「原大介展」−drift out−に行ってきました。 6/23〜6/30です。

この方の作風は抽象平面、凸凹のあるマチエールの地に色がさっと乗せてあるのでそこの変化がまず面白いこと、色は作品によって色々使われていますが、一つの作品に使われている色数は少ないこと、構成がシンプルなこと等々、割と個人的に好みの画面。
これはすごい!・・というほどでもないとは思いましたが、まあいい感じ。


タイトルは、具体的なタイトルがついていましたが、模様としては、具体的な何かを想起させるものではなかったので、その辺りはいつものことながら良く分からないままでした。
多分説明されても、ピンとはこないのかも?と思っています。(作家さんの心の中の問題なのだとすれば・・)


しかし、、、、今日はなんとも湿気が高く、気温も高くて、過ごしにくい一日でしたねーーー。
じっとりと皮膚に空気が絡みつくような感じで、非常に不快指数の高い日であったと思います。 外を歩いているときもそうでしたが、部屋にいても何をもする気力が無くなるような一日でした。 そんなへろへろな私と対照的だなーと思ったのが、道端の雑草たち、雨にも暑さにも負けず青々と元気に伸びていて、雨露だって、それが光って、ますます元気です!と主張しているようで、なんともうらやましい限りでした。
これからしばらくは、ギャラリーへ向かうだけで汗まみれになる季節が続きますね・・
せめて体調を崩さないようにと望むばかりですが、まあバテないように気をつけるくらいしか出来ませんね・・・。


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2008年06月29日

アート> 「青木正夫展 深層風景 「分断と融合」」 ギャラリーメゾンダール

地下鉄 本町駅から歩いて少し、靭公園近くのギャラリーメゾンダールで開催中の「青木正夫展」−深層風景 「分断と融合」− を見てきました。 6/24〜7/12の開催です。

この方の作風は抽象平面といって良いと思います。 結構きれい目の色を使われていて、その表現も技法としては非常に手間のかかる作業が必要な制作手法をとられています。
画面を非常に細かく(統一感を持たせつつも)区切って塗り分けてあり、その境界線はマスキングテープでも使ったような感じで直線的にピシッと区切れています。

一番表層的に見えているのは、細い横ストライプの線なのですが、これもマスキングテープを使ったような感じで細く、シャープに区切られていて、かつ、画面全体への散らばりが非常に上手く構成されているので、うるさい感じがしない、使われている色数,要素の多さにしては、かなり統一感のある落ちついた画面になっています。

また一番表面にある横ストライプの下に描かれている模様は、切れ目は直線的でシャープですが、色はぼかしが入っていたりするので、非常に奥行きも感じる画面になっています。


展示作品の中で個人的に好みであったのは、たくさんの色が使われている中でも、比較的メインの色が分かる作品が好きでした。 一番好きだったのはターコイズブルーが主調色と感じた作品だったでしょうか。 赤の作品も良かったです。

独特の画面構成、多くの色を多用しながらも統一感のある画面を作り出している、こういったところがすごいなぁと思いました。 私は、たくさんの要素を、特に、たくさんの色を画面に破綻なく入れ込むというのが非常にダメなので、こういう作品を作れるというのはそれだけで感嘆してしまいます。
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2008年06月26日

本>ノンフィクション 「物乞う仏陀」 作:石井光太

「物乞う仏陀」,作:石井光太,文春文庫です。
地雷で手足を失った人、生まれつきの障害を持った人、病ゆえに迫害を受けた人、貧困その他の原因で発生するストリートチルドレン、障害者にさせられてしまった人たち,そしてそれを作り出すマフィア組織・・・・・。 それらの人々を取材した、アジアの国々の相当に暗い部分に切り込んだノンフィクション作品。

国にして取り上げられているのだけで8ヶ国。 著者のあとがきで、取材を実施したのが、2002年の夏から2003年の晩冬とのことなので、ほぼリアルタイムに近いアジアの現実を切り取っているものといえると思います。
おそらくインドを筆頭として、各国それなりの経済発展をしていて富める人、または上手く時流に乗れた人は、それなりに豊かになっている(又はなりつつある)のだと思いますが、この作品で取り上げられている人々はそこから取り残されている人々です。
タイトルのとおり、物乞いをする以外に生計を立てる術がほとんど無いという人々が取り上げられています。


帯や、裏表紙の紹介文に書いてあるほどに全編に渡って“衝撃”とまでは感じませんでしたが、正直インドのマフィア組織とそれにより作り出される障害者とその物乞いに関しては、相当に陰鬱にさせられるものでした。

この作品では、何がこれらの貧困や暴力や差別が生み出されているのか?という部分に関しては、結論めいたことは書かれていません。
著者自身も、あとがきで書かれていますが、そんなことは簡単に描けるものではないからでしょう。 だから著者は、彼らと実際にそばにいて語り合ったそのままを書き残すしか術が無い、むしろそのことこそ彼らの人間性を描くことだと思っておられるようでした。


ところで、私は、この本を読んでいて思い出したことがあります。 今は見ませんが、私の子供〜学生の頃は、私の住んでいる下町にも、物乞いの人はいました。 その中で、何人かの方は、白い兵隊服(デザインは旧日本軍)を着てただ黙って立って物乞いをされていました。 その方がたしか義足で、松葉杖をついておられたと思うのです。 自分の無知をさらけ出すようで恥ずかしく思いますが、これらの方々は、“傷痍軍人”さんとして、物乞いをされていたのではないか?と思い返した今、そう思ったのです。
だとすると、我々にとっても、この作品に書かれていることは、そんなに風化した問題とは言えないのではないかと思えました。 我々の国も、明治以後、60年前までは、何度も戦争を繰り返しおこなってきたのですから、戦争で障害者となった人々がそれをネタに物乞いをするしか生きる術が無い、と言う状況は確かにあったのではないか?と思うのです。
※もちろんこのことをちゃんと調べたわけでもなんでもないので、これはただの私の憶測にすぎません。 間違っていたらごめんなさいです。


文体としては、冷徹な、一歩引いた視点で冷静に描いているというより、彼らの中に入り込んだそのままを描いているという文体なので、ノンフィクションとしては相当に“熱い”文体と言えるような気がします。 なので、その辺りで好き嫌いが分かれるかもしれません。 私は、もう少しでいいので、社会的な問題に関するこの著者の見解などを書いていてもらえたらと思うことはありました。 しかし、ほとんど光のあたらない部分を取り上げ、描いているという点で貴重と思いましたし、読んでよかった一冊でした。
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2008年06月25日

マンガ> 「イムリ」4巻 作:三宅乱丈

「イムリ」4巻,作:三宅乱丈,ビームコミックス,潟Gンターブレインです。
三宅乱丈さんが描くSFファンタジー作品。 3巻が出たのが、約半年前ですね。 結構独特の世界観の作品。

前巻では、軍部のクーデターで一旦制圧されたかに見えた呪師たちが盛り返し、武力闘争も含めた勢力争いの中でどちらが優勢か一概には言えない混迷した状況の中でお話しが展開していきます。

そんな中、“イムリ”たちの世界に逃れなければならなくなった、主人公デュルクが少しずつ“イムリの道具”との関わりあい方を発見していきます。


最初は冗長に見えた様々な、光彩,彩輪の説明が此処に来て、ちゃんと伏線と言うか、それだけのセリフ、ページを費やしていただけの意味が出てきたという感じで、いまの所上手くお話が展開、構成されているなぁという感想です。

次巻あたり、お話し上、一つ大きな展開が来そうな気がしており、主人公が、状況に流されている状態から、少し変化が出てくるのではないかと思っております。
(そういう点では、この作品全体の中で、序章といえる部分が終わったのかも?)


いまの所、手を出して損はしていない作品と思います。 どうも長い構想のお話であると思うので、全体としてどうか?は、まあ最後まで読んでみないとなんとも言えないのでしょうけれども、気長に付き合って損は無さそうに思える作品なので、少なくとも後、数巻は、無条件に手を出すと思います。(半年に1巻のペースくらいのようなので、年単位での付き合いになりそうです)
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2008年06月23日

アート> 「山田宴三展」 不二画廊

地下鉄 堺筋本町駅近くにある、不二画廊で開催中(6/16〜6/26)の「山田宴三展」を見てきました。(見てきたのは、土曜日です。 昨日書けなかったので、今日書くことにしました。)

この方の作風は、抽象平面といって良いと思います。 白、薄い茶色からグレー、黒といった色合いで構成されている作品で、これといったはっきりした模様とかが描かれているというわけでもない感じ。 色的には、無彩色でつや消しな感じで個人的には好みな色合い。

画材ははっきり分かりませんでしたが、黒はいい黒で好きな黒でした。 白は、ちょっと胡粉とか混ざっているのかな?という印象の白で、マチエール的には蝋かアクリルのメディウムとかが使われているのか?といった箇所が結構ありました。

ただ、残念だったのが、色、マチエールは非常に好みでした、ただ構成として、色んな色の変化がたくさんありすぎて、正直、要素が多すぎると感じた所。
入り口すぐに展示してあったスクエアの小品が要素的にはいい感じでしたが、他の大きい作品はどうも要素が多くて、少しうるさく感じてしまいました。

この画廊の空間は、ガラス張りで、その正面には、同じく喫茶店のガラスの壁があるのですが、そこに写っている画面を見て、これくらいにシンプルなほうが良いのではないかと感じました。(壁に写るというのは、細かい所が見えなくなって大まかな画面に見えます、そのくらいの要素の少なさでの構成が個人的には好みであったなぁという感想でした)


部分、部分の色合い、表現は非常に良いと感じました、ちょっとケチをつけるようなことも書いてしまいましたが、足を運んでよかった展覧会です。 次も見てみたいと思っています。
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2008年06月22日

アート> 「南方トミ展」 信濃橋画廊apron

地下鉄本町駅近くにある、信濃橋画廊 apronで開催中の「南方トミ展」を見てきました。 6/16〜6/28の開催です。 信濃橋画廊の地下の小さいほうのスペース。

この方の作風は、抽象平面、紙をパネルに張って、そこに墨のような黒で、ザラザラのマチエールの太い線が勢いのある感じで描かれています。 その菱形に描かれた中や、横一線や周りは、薄い黒でフラットに塗られていたり、にじみのもやもやがあったりという感じですが、色的には黒一色。

今回の作品のこれまでとの違いは、地の紙がこれまでは、包装紙に使われているような感じの薄い茶色の紙であったのが、今回は、真っ白といっていい色の和紙に変わっていたこと。 それから、ザラザラマチエールの太い線が、これまでは基本的に菱形を主とする四角が描かれていたのが、今回は、横棒一線の直線という作品が展示されていたこと。
一番大きい変化と感じたのは、この辺りという感想です。


一番面白いと言うか、この作品の感じが上手く大きくするなり、もっとたくさん作ってみるとまた面白い作品が出来てくるのでは?と個人的に思ったのが一つありました。

地の塗りが、これまでのフラットに黒くしたり、もやもやのにじみがあったりという感じでなく、下から上に刷毛で勢い良くサっと動かして、上へのシャープで勢いのある縦のストライプ状の黒の線模様,そこに横一線のザラザラマチエールの太い線が画面の中央に走っています。
小品でしたが、これまでのこの作家さんの作風から変化が見られて、かつ面白かったので、これが、もっと大きくなったり、この味を殺さずにもっとたくさん作れたら、すごくいいのではないかなぁ〜〜と思いました。


基本のシンプルさは変わらずで、私の好きな作風なので、やはり足を運んでよかった作品展でした。 次の変化に何が見れるか?に期待したいという今日の感想でした。
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2008年06月20日

マンガ> 「絶対可憐チルドレン」13巻 作:椎名高志

今日発売の、「絶対可憐チルドレン」13巻,作:椎名高志,少年サンデーコミックスです。
この巻は、“蝿の王”,“もののけ姫によろしく”と“そのエスパー凶暴につき”の途中まで、それにプラスして、一週分丸々4コマという“[増補版]サプリメントスペシャル”が収録されています。(もちろん各話の始めには、4コマが1ページついています)

どうなんでしょう?ここから新たな展開開始と言う感じになっているのでしょうか? “蝿の王”の冒頭は、チルドレンの現在と未来の予知を改めて紹介していますし、“そのエスパー凶暴につき”は、ちょっと過去に戻って皆本とチルドレンの最初の出会いの話になっています。 この巻の内容で、前巻から更に展開が加速・・と言う感じではありませんでした。

まあ、改めて、少佐の未来の予知の見解とか語られていますが、ちょっと変わってきている感じもするので、その辺り、少佐&パンドラのお話の中での位置づけが変わってきているのでしょうか??(変に深読みしすぎかな???)

“もののけ姫によろしく”は、久しぶりにザ・ハウンドの2人が登場。 まあお話しのほうは、別にメインのストーリーの流れとは絡まない小エピソードという所ですが、やっぱりク○ラは食べられませんでしたねぇ・・ 個人的にはやってみても面白いと思うでしょうが、さすがにこれだけ出版される作品でそれは無理ですよね・・・・。

この巻では、私にとっては昔懐かしいネタが幾つか使われていて、そこが結構面白かったです。 しかし、バルバルバルーの擬音とあのセリフとか、1号と2号の代わり際のいいわけネタとか、若い人で解る人いるのでしょうか?それとも私のようなオジサン読者向けに作家さんがサービスしてくれたのでしょうか?(まあ楽しめたのでいいんですけど)

今回の表紙絵は、ザ・ハウンドの2人でしたね、背景色は彩度を落としたピンク色で、初音のパンツ、髪、目の色とマッチしていていい感じに思いました。 構図的には、チルドレンの3人の大きさが少し大きいか?位置的に少し高いか?とも思いましたが、全体としては、なかなかいい感じであったと思います。
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2008年06月18日

本>時代・歴史 「人間の剣 幕末維新編」(一)〜(四) 作:森村誠一

「人間の剣 幕末維新編」(一)〜(四),作:森村誠一,中公文庫です。
拵えは粗末ではあるが、その刀身は名状しがたい色合いを持ち、持つものに不思議な気力、力を与える“無銘剣”,その変遷に託して、歴史の様々なエポックを描いている作品。

戦国・江戸編に引き続き、幕末維新編を読みました。 全4巻です。
それぞれのサブタイトルが、
(一) 血煙新撰組,(二)無名剣対狂剣,(三)新撰組残夢剣,(四)西郷斬首剣
とつけられています。


これまでは、戦国期、江戸時代と扱っている時間の長さが長かったせいか、個々のエピソードの独立性が高く、複数のエピソードに渡って登場する人物と言うのは少なかったという記憶があります。
しかし、この幕末維新編では、4巻全体でも描かれている時間は、20年くらいと短いせいもあるのか、複数のエピソードに渡って登場する人物も多く、また複数のエピソードに渡って“無銘剣”を持ち続ける人物も出てきます。
そのため、最初は、今回の幕末維新編はずいぶん趣向を変えてきたな〜〜と感じていました。


ただ共通しているのは、歴史の様々なエポックを描きつつも作家さんの視点は常に、虐げられる側に強く向いていると思います。
この幕末・明治維新の時代も、“天誅”と称して、強盗殺人を犯す浪人集団に惨殺された罪も無い商人やその家族。 戦場で兵士に略奪、殺害される名も無き庶民たち。幕府側/新政府側どちらであろうと、自分が武力を持っている側に立った人間と言うのはその武力と集団心理と、自分が正義だと言う思い込みがあれば余計に、無慈悲に弱者を虐げるものとして描かれています。

明治維新というものは、何とか外国に侵食されまいとした結果生まれた、種々の動乱で、それ自体が全て良くないというつもりはありませんが、特に動乱期と言うものは、常に理不尽な被害を受ける人々が多く出るのだということも同時に認識するべきだと思います。


しかし、この辺りになると、“無銘剣”のすさまじさは、ほとんど化け物じみたくらいになってきています。 これを持つ人は、完全に剣の心得の無い一庶民や、か弱い女性、やせ衰えた老人と普通ならどんな名剣を持とうと、戦闘などできそうも無い人たちですが、無銘剣に込められたこれまでの人々の恨みが、彼らの恨みを晴らさせます。

しかし、次の昭和動乱編は、どんな展開になるのでしょうか?
この辺りまでは、まだ、剣というものが戦闘のための兵器としてまだ使いようがあった時代だと思うのですが、昭和となると、もうさすがに銃が主体なので、歴史のエポックの表舞台での使用というのはさすがに無いような気がしています。
まあ、どう使われるのか?この作家さんが昭和期をどういう描き方をしてくれるのか?その辺りは興味があるので、また本屋さんで探して、手を出してみようと思っています。
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2008年06月16日

アート> 「山羊の肺 沖縄1968-86年 平敷兼七写真展」 大阪ニコンサロン

西梅田のヒルトンプラザ・ウェストオフィスタワー13F,ニコンプラザ大阪内にある写真のギャラリーである大阪ニコンサロンで開催中の「山羊の肺 沖縄1968-86年 平敷兼七写真展」を見てきました。 6/12〜6/25の開催です。

新聞の紹介記事で、このニコンサロンと言う場所の存在を昨日初めて知りました。 で、テーマも興味を引かれるものであったので、今日、初めて足を運んでみました。(なかなか場所が分からなくて、あちこちうろうろして、ようやくたどり着きました・・・)

この展覧会は、平敷兼七さんの写真の展覧会。 沖縄の人々、状景、風景等々をモノクロの写真で切り取っています。
展覧会のタイトルともなっている、“山羊の肺”というのは、沖縄では、山羊は家畜として飼われていますが、育てば屠殺され食べられる存在。 チラシ等の文章を引用させていただくと、“気性はきまじめでおとなしく優しいのだが、最後にはその絶妙な味ゆえに殺され食べられてしまう。タイトルの「山羊の肺」は、沖縄の歴史と文化の象徴のようだ。”とのことで、ひっそりと、黙々と働き、生きている沖縄の庶民の人々の人生を山羊という存在に重ね合わせているようでした。


被写体となっているのは、主に沖縄の庶民、どちらかと言えば貧しい人々を写した作品が多かったです。 貧しくはあっても、まだ明るく遊んでいる子供たちの写真などは、まだ見ていられたのですが、ちょっと見ていてもいたたまれない気持ちになるのが、「職業婦人」と呼ばれる女性たちを撮った作品。

会場の説明文の中でも、はっきりそうとは書いてありませんが、全体として読んで、見てみた私の考えとしては、おそらく生活のために致し方なく、売色を生業とせざるとえなかった方々と思われました。 しかし、写された女性たちの表情はとても素朴で、その服装や家も決してきらびやかではない(むしろ鄙びているといってもいいくらい)。 
だから余計に見ていて痛みを感じる所がありました。 せめて、派手な化粧や、カメラに対し媚を売るような挑戦的な表情でもあれば、逆に平静に画面の前に立っていられたかもしれません・・・・・。


あまりに感情移入してしまっては、かえって見る側としても良くないと思ったのですが、ちょっと「職業婦人」の作品に関しては、見ているのがきつかったです。

その他も、決して声高に叫ぶような作品はありませんでしたが、ちょっとしたところに垣間見える基地の存在。 戦争の傷跡、その鎮魂のためにおかれた像等、沖縄と言う土地が抱えている悲しみを捉えていて、やはり気持ちは厳粛とならざるを得ませんでした。


足を運んで、とてもよかった展覧会。 このニコンサロン、今回初めて知ったのですが、今後もいい作品を展示してくれるのであればまた足を運んでみたいです。
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2008年06月14日

アート> 「民衆の鼓動 韓国美術のリアリズム 1945-2005」 西宮市大谷記念美術館

国道43号線沿いにある西宮市大谷記念美術館で開催の「民衆の鼓動 韓国美術のリアリズム 1945-2005」を見てきました、5/24〜6/29の開催です。

これまであまり紹介される事が無かったと言う、韓国のリアリズム芸術の作品を体系的に紹介しようという展覧会。 私自身も、これまで韓国の作家さんの作品を何回かは見ている記憶がありますが、確かに印象としては、モノクロームの抽象絵画や具象的な要素を盛り込みながらも感じとしては、オブジェとしての構成のイメージが強い作品であったような気がしています。

この展覧会で紹介されている作品は、それらとは大きく異なり、基本的には具象表現、特にリアリスティックな表現、技法での表現をされている作品たちです。
特に印象的なのが、社会的な問題を真正面から見つめて、相当に直球で表現されている作品たちであることでした。


そのため、ともすると、表現されている内容,手法が、その時代時代のリアルタイムの問題にフォーカスされすぎていて、解説とかが無いと良く分からないままということもありそうな気がしました。 こういう作品だと、やっぱりタイトルや、追加でつけられているちょっとした作品説明が無いと見て行きにくいと思いましたし、実際私もそれらを読みながらの鑑賞と言うことになりました。

正直な所を言いますと、個人的な作品の好みから言うと、こういった写実的に描きこんだ,要素の多い作品と言うのは、あまり好みではない方なのですが、表現しようとしているテーマがテーマなので、こういった表現となったのでしょう。 なので、私はぱっと見て、ぱっと感じたと言う見方ではなく、この展覧会に限っては、むしろ、追加の解説を読んで、それを元に読み解くに近い見方をしてきたと思います。(珍しく考えつつ見た、という感想)

印象に残っているのは、イム・ウンシクさんのモノクロ写真作品の“求職”,チェ・ウィスンさんの頭部の彫刻“受難者の頭像”。 これが一番印象に残っています、不安そうに見上げる表情が非常に印象的でした。
アン・チャンホンさんの“家族写真”,表情を全く消された仮面の家族の肖像写真を描いた平面作品、非常に不気味に迫ってきます。

キム・ソンダム、キム・ヨンスさんは軍事政権時代の拷問、尋問の経験を元に非常にストレートな表現の作品を制作されています。 こういった作品が1980年代後半から1990年代に制作されているということが、韓国でのこういった問題が決して過去の問題と言うわけではないことを示しているように思います。


個人的には、決して、表現として好みの作風というわけではなかったのですが、足を運んで良かった展覧会でした。 こういった作品群が一つの流れとして存在し、生き続けているということを知ることが出来たことは非常に良かったとおもっています。
久しぶりに図録も買いました。(高いから最近はめったに買うことは無いのですけど・・)

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2008年06月11日

アート> 「なぜ、これがアートなの?」 作:アメリア・アレナス

これもアートのことについて書かれた本です。
「なぜ、これがアートなの?」,作:アメリア・アレナス,淡交社です。
著者のアメリア・アレナスさんは、アメリカの方で、ニューヨークの近代美術館で、教育プログラムに長く関わった方だそうです。

その著者が、我々が、見慣れない作品、またはどう見ればいいんだ?と戸惑うような作品を前にしたときに、しばしば自問する言葉「なぜ、これがアートなんだ?」「これのどこがアートだと言うのだ?」、もっと単純に「なにこれ??」という、戸惑いや、苛立ちに対して、できる範囲で、真摯に語ってみようと言う内容になっています。

とはいっても、この本は、この作家の作品はこういうことを描いていて、こういうことを言いたいのだからこう解釈しなさい。 などと、いわゆる作品の“読み取り方”というものを解説したり押し付けたりしようとする物ではありません。

むしろそれとは逆で、作品には、色々な種類があること。
・瞬間的なインスピレーション,直感的に感じることを求めるような作品。
・逆に、根気良く、じっくり眺める中で自身の内面への問いを求めるような作品。
・社会的、または、極めて人間的な課題を描こうとしていて、そういった方向に様々考えを巡らすことで多様な考え、解釈を見る側が持って欲しいというような作品。
等々、決して、作品と言うのは、一つの解釈や物差しで、全ての作品が測れるものではないということをまず始めにはっきりと記述されています。


その後、様々なタイプの作品に関して、著者の考えや、ある程度、こうではないか?という説明が書かれています。 しかし、それも、今こうでは無いかと考えられている、又は、著者がこうではないかと考えている、という一つの解釈を示しているにすぎません。

また、作品を制作したアーティストたち自身も自らの作品の解説や正確な意味、製作意図等を的確に言葉で“書く”ことは実際の所ほとんど出来ないともこの方は書かれています。
こういう感じで書いてくれると、私のような素人は、結構安心します。 “創った本人もどうもよく分からないんだけど、こんな感じで作ってみました。” という部分があるのだとしたら、見る側も“良く分からんけど、いいと感じた”くらいの感想を持っていれば十分ですわね〜〜と多少気楽になれます。


とはいえ、様々なタイプの作品を取り上げてあり、それぞれに関して、それなりに説明はされています。 しかし、どれも、“この作品はこういうことを言いたいのです!”と決め付けるようなことはしていません。 むしろ読む側が様々に自分なりの解釈が出来るように最初のきっかけを与えてくれているという印象です。

アホな私には、それでも結構複雑に感じる所もあったのですが、この著者の基本的な作品に向かい合うときの姿勢に関しては、非常に共感する物を覚えた作品です。
アートに関して書かれた著作としては、かなり人にお薦めできる一冊ではないかと思っております。
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2008年06月09日

本>文芸 「ベルカ、吠えないのか?」 作:古川日出男

「ベルカ、吠えないのか?」,作:古川日出男,文春文庫です。
太平洋戦争末期、太平洋北側のアリューシャン列島で、軍用犬四頭が島に置き去りにされた。 その4頭の犬たちを始まりとする犬たちの系譜を描きながら、20世紀の戦争、最近のロシアの裏社会の抗争等と絡みながらお話が進んでいくと言う作品。

犬たちの繁殖、その系譜を歴史と絡めながら,軍用犬として使役されていることが多いので、20世紀の様々な戦争、動乱がそこに絡んできていて、それに関わる様々な人間たちのお話も描かれているという内容になっています。

この作品、実は、単行本で刊行されていたときから、その印象的な表紙写真が気になっていて、時々食指が動きかけたりもしたのですが、やっぱり高いので買わなくて、最近文庫化されたので、手を出してみたと言う作品。(私のよくあるパターンです)

全体的な感想から書いてみると、結構バイオレンスな、シーン、展開の多い作品で、かつ出てくる登場人物も結構我欲の強い人間が多いので、正直読んでいて、いま一つ感情移入できにくかったというか、共感できるとことが少ない感じでした。
犬たちの考えを、文章で表現している所なども、まあ他の部分と差をつけるためなのでしょうか?ちょっと、ぶつ切りな感じの文体で、読みにくくて、これもいま一つのように私には思えました。


作品全体としても、動乱の時代の中でも生き続けた犬たちを描きたいのか?それを描きつつ実際は人間の欲望や、20世紀という戦争が頻発した時代のことを何か描きたかったのか?私には、いま一つ掴めなくて(単に読解力が無いだけという話しもありますが・・・・)、犬というものを何か象徴的に使っていて、作家さんの本当に言いたいことがそこに隠されているのか?とかも思ったりしましたが、結局、最後まで良く分からないまま終わってしまいました。

まあ、結構話題になった作品であるので、それなりに魅力もあり、売れてもいる作品なのでしょうが、私には、最後までその魅力を感ずることは出来ませんでした。
“つまらなかった”と切り捨てるような感想でもなく、かといってしっかり楽しめたと言うわけでもなかったと言う、非常に中途半端な読後感でした。

こんな感想になったのは、珍しいことです。なので、ネタとして書いてみることにしました。
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2008年06月08日

映画> 「靖国」

最近、ニュース等で結構話題にもなっていた映画、「靖国」を見てきました。
このブログ、なんだかんだで2年以上続いているのですけれど、映像作品のことを書くのは、初めてです。 なので、最初に作った カテゴリの一つ“映画、TV雑感”の初投稿ネタになります。

最近の私は、すっかり劇場に映画を見に行くと言うことが少なくなってしまっています。
金銭的にきついと言うのが一番の理由ですが、あんまりエンターテイメントな作風を、最近面白く思えない様になってきており、大きな劇場でのロードショーの作品とかをそんなに強く見たいと思わなくなってきているのも理由の一つのようです。


で、まあドキュメンタリーであること,世間で結構話題になったこと,ということで興味を惹かれて、劇場まで足を運んでみました。

この作品は、概要を書くと、8/15に靖国神社に集まる人々の様子を主に捉えたドキュメンタリー作品と言うことになるかと思います。
作品を見た全体としての感想をまず書いてみますと、特別何かを、または誰かを批判するというほどの物とは思えませんでした。

もちろん一人の監督さんが撮影し、編集し、自分の納得する作品にしたわけですから、全くのノーメッセージとは思いませんでしたが、どちらかと言えば、この作品を見た人間が、一人一人、この内容と靖国にからむ現実について色々考えるきっかけの一つになるいい題材と思いました。 そういう意味では、いいドキュメンタリー作品ではないかと思っています。


その他、作品中で思ったことを、まとまりの無い表現になると思いますが、幾つか書いてみたいと思います。

・まずは、当然ながら、靖国神社には、“靖国的”なことが好きな人が集まってきて、お参りしたり、自分の考えを大声で読み上げたり、出店で酒を飲みつつ語り合ったりと、まあ色んな状景があるわけですが、やはり私には、旧日本軍の軍服を着て行進してみたり、みんなで天皇陛下万歳をいっしょに叫びましょうと呼びかける右翼っぽい格好の人とか、どこの制服かは全然分かりませんでしたが、軍服っぽい服を着て行進してくる7−8人の集団とかを見ると、どうしても奇異に感じますし、どうしてもこれ見よがしで、威圧的に感じて、正直好感は持てませんでした。 どうも、他人に自分の考えを押し付けるイメージを持ってしまったゆえでしょうか???

・また“靖国的”な人々は、もちろん全てでは無いでしょうが、自分の価値観以外の人に対して非常に非寛容な態度を示すように思えました。 靖国をみんなでお参りするようにしましょうという集会に、2人の若い人が反対の横断幕を広げた所をカメラは捉えて、その後の情景もずっと追い続けたのですが、排除の仕方もひどく乱暴でしたし、一人の人は首を絞められていたし(さすがに係員らしき人が止めに入りましたが)、その後も、その式典を見に来ていた、中年の叔父さんが、ただひたすら“中国か!”“中国人か!”と連呼しながらその若者を威圧し、追い出す辺りは、非常に不気味でした。 完全に自分の価値観意外は認めない、それ以外は悪で許されないといった感じで、まあ、原理主義的な判断をされる方のように思えました。 私は、価値観とか常識とかあたり前なことというのは、人の数だけ存在すると思っていて、異なる価値観に対して、受けつけなかったり、理解できないにしても、出来るだけ、非難や攻撃的にはなりたくないです。 まあええがな〜〜という感じで、適当に妥協点を見つけて共存しているほうが良いと思っているので、このシーンはかなり不気味でしたね。

・一番、印象的であったのが、仏教のお坊さんで、お父さんを戦争で亡くされて、お父さんが靖国に祭られているのを、やめて欲しいと運動されている方へのインタビューだったと思います。 靖国側の主張は、誰かを靖国に祭るかそうでないかは靖国が決める、決めた以上は返さないということのようでした。 つまり靖国という組織の判断は、靖国の価値観で持って決めたこと(この場合は、誰かを自分の神社に祭ると決めたこと)は遺族がどう思おうと関係ないという態度のように思えました。 非常に嫌な考え方ですね、個人個人の考えよりも、靖国と言う組織の考えが上であると言う考え方のようですね、他人の考えを尊重するとか、どこかで落とし所を見つけて妥協しようと言う所が全然無いというのは、個人的には、好みで無い考え方です。

・最後に、この作品は、靖国刀と呼ばれる刀(日本刀)が戦中作られて兵士に渡り、戦場でも使われた、そして今でも一人の刀工が作り続けているというところに、結構着目しているようで、刀工のおじいさんへのインタビューも結構時間が割かれていました。
始めは、どうも違和感を感じていたのですが、全体を通してみると、この監督さんは、日本人が戦時中特に、そして今も何となく、日本刀に対して神聖なものと言う気持ち、何か日本人の精神のいい部分を象徴する存在とみなしていることに、非常に違和感を感じておられるのではないかと思いました。

太平洋戦争時代と言う、もはやよほど近接した白兵戦時以外は兵器としては使いようが無いような日本刀と言うものを使い続けたこと、時に捕虜や敵対者の首をはねるために使われたこと。 それは、銃で銃殺するという光景よりもはるかに違和感のあるものとして、この監督さんには感じられたのではないでしょうか?
この監督さんは、中国の方ですが、この方がそう感じたとしたら、おそらく、他の国の方でも、同じ様に感じる可能性は高いでしょう。

そういうことを考えると、私自身、何となく日常で行っていることが、他の人が見たら、異質で、不気味で、理解しがたい、野蛮である、等と思われる可能性も大いにあるなぁとちょっと不安になりました。 別に、何もかも他人の価値基準に合わせる必要はありませんが、そういうこともあると認識しておくことは必要なことと思います。
こういうことを考えるきっかけを与えてくれたと言うだけで、この作品を見た価値はあったと私は考えています。


そんなこんなで、考えてみると、この靖国というものを外国の監督さんが取り上げてくれたということは非常に良かったのではないかと思いました。
日本人なら、何となくあたり前に感じて、流してしまうような所に着目して描いてくれると言うことは、そしてそれを我々が見るというと(見て考えるということ)はとても大事だと思います。
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2008年06月05日

マンガ> 「ブンブン堂のグレちゃん」 作:グレゴリ青山

「ブンブン堂のグレちゃん −大阪古本屋バイト日記−」,作:グレゴリ青山,イーストプレスです。
この方の作品が、本屋さんに並んでいるのを認識したのは、最近のことなのですが、ちょっと調べてみると、かなりたくさん作品が出版されていて(旅のエッセイ的なものが多いように思いました)、長く活躍されている作家さんのようでした。

この本に手を出してみようと言う気になったのは、“大阪古本屋バイト日記”とタイトルにあったためで、私も、自慢できるほどに本に詳しいというわけでも、薀蓄があるわけでも、こだわりがあるわけでもないわけなのですが、基本的に、本はとても好きです。
まあ、そういった辺りで、本好きが楽しめる作品かなぁ?と思って手を出して見ました。


内容は、若き日の作家さん自身の、阪急河童横丁の古本屋さんでのアルバイト生活での出来事を綴った、少し自叙伝っぽい所もある、エッセイコミックと言う所。
個性的な、古本屋さんの店長さんやスタッフの面々のこと、古本屋で起こる出来事、“市”と呼ばれる、古本屋さんしか入れない、古書入札市のレポート、街のちょっとしたスペースとかで開かれる気軽な古本市等等。 作家さんの当時の生活なども交えながら楽しく読ませてくれる作品です。


私は、古書と言う範囲には、ほとんど手を出しません。なので、希少本とか、特定の分野にこだわって、資料をあさったり、コレクションしたりということもほとんど無いので、この作品内に登場する人々から見ると、“本好き”の範疇には入らないくらいの存在ではあると思うのですが、それでも、こういった本にこだわった人たちの話を読むのは楽しかったです。

河童横丁だけでなく、梅田近辺の古本屋さんの取材情報なんかも色々載っているので、興味のある人はそういうお店に足を運んでみるのもまたいいのではないかと思えたところ。

私も、河童横丁は時々足を運びます。そんなに買わないですけど。 通りの片側の端に1軒、反対の側にもう1軒、画集とかがたくさん置いてあるお店があって、時々いいのが無いかなぁ?とのぞきに行ったりもします。
真中あたりにある、外国作家さんの画集とかが主体の小奇麗な店があるのですが、ちょっと敷居が高くて、そこにはなかなか入りづらい。 でも、いまエゴン・シーレの分厚い画集が陳列してあるんですよねー・・・。 一回値段だけでも聞いてみようかなーとか思うのですが、なかなか踏ん切りがつきません。


まあとにもかくにも、本好きな人なら十分楽しめる作品、内容に仕上がっていると思います。 結構お薦めです。(1100円とちょっと高めですけど装丁とかも凝っているし、それだけの値打ちはあると思います)
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2008年06月04日

本>時代・歴史 「人間の剣 江戸編」(三) 作:森村誠一

「人間の剣 江戸編」(三) −天下の落胤−,作:森村誠一,中公文庫です。
2008年5/13に書いた、江戸編(一)、(二)に続く3巻目で、この巻で江戸編は終了。
この後、幕末維新編へと続くことになります。


この3巻では、8代将軍吉宗の落胤騒ぎ(いわゆる天一坊事件)から、幕末になり外国船が到来するようになって、吉田松陰がペリーの船団への密航を試みた辺りまでが描かれています。

どうも、この辺りまでくると、“無銘剣”の存在感と言うか、お話しの中に絡んでくると言う点での意味づけとかは、そんなに重要には思えなくなっています。
個人的な興味も、作家さんが、いったいどのような歴史上の事件、またはポイントを取り上げてくれるのか?それをどういう描き方をしてくれるのか?に興味が移っています。


個人的に面白いと思ったのは、吉宗の緊縮政策に対して、尾張の宗春が開放政策を取った辺りの記述でしょうか。 どちらが正しかったかとか、どちらが優れていたのかというような比較をしたいわけではなく、結局、一つの政策とか、方針とか言う物は、どんな物であれメリット同時にデメリットを持っていて、何を優先するかで、その選択肢が決まっていくと言う所なのだろうと改めて思ったこと。 結局、一つの政権や、政策がある程度の期間続くと、必ずそれに対する反動が出て、次の政権では、その反対の政策を取ったり、そこまで行かなくても、何らかの修正を実施するのは、そんなところからなのだろうと思います。

後、とりあえず知識として知ることが出来てよかったと思ったのが、大塩平八郎のこと。
歴史の教科書的な知識で、“大塩平八郎の乱”を起こした人くらいの知識しかなかったので、周辺知識含め色々知ることが出来たのは良かったです。


以降、幕末維新編をこれから読んでいこうとしていますが、最初の内も魅力の一つであった“無銘剣”がいかに歴史的事実と上手くお話的に絡んでくれるか?と言う点は、あまり期待しないでいいなぁと思っています。 それよりも、森村誠一さんという作家さんが、あまたある歴史のエポックの中から、何を選び出し、そしてそれをどういう視点で描いてくれているか?その点に興味を持って読んでいきたいと思っています。
posted by 大阪下町オヤジ at 01:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 本の雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月02日

アート> 「阪本龍哉展」 ギャラリーマーヤ

JR高槻駅すぐにある、ギャラリーマーヤで開催中(7/6〜7/18)の「阪本龍哉個展」を見てきました。

この方の作品は、基本的には人物を描かれています。 少し前に拝見したときは、向こう側が透けて見えるくらいに薄い布に人物を茫洋とした感じに描かれているという感じでした、しかし、前のgallerism2007「関西美的解体新書」で拝見した辺りから主に顔だけをしっかりと、そしてタッチとしてもむしろ抵抗感のある感じにしっかりと塗りこんである感じに変化されていました。

今回は、基本的には、前のgallerismの時と同じ傾向で、画面に大きく顔が描いてあるのですが、色の使い方や、塗りの感じが更に変化されていて、前は主に白黒の印象が強く、モノトーンという印象でした。 今回の展示作品は、小品が多かったのですが、色が赤、青、ゴールド、黒など色々使われていて、しかもその塗りの色調が、ちょうどメタリック塗装のような非常に光沢のある色合いに仕上がっていて、その点で、非常に大きな変化を感じました。

こう書くと、何かひどく派手な、キラキラした画面を想像されるかもしれませんが、色的に色々使われているにしろ、画面全体として非常に統一感のある、落ち着きのある画面で、うるさく感じない非常にいい画面でした。

描かれている顔の輪郭や目鼻がぶれている様に描かれている所など見ると、人の抱えている不安定さ,不安な気持ち,気持ちのゆらぎなどがそこに込められているようにも思えて、色がきれいなだけに、そういった、どこか不安定な感じがより強く見る側に響いてくるような気がしました。

非常に、いい感じに変化していかれているなぁと思い、その辺りとてもすばらしいと思いました。 また次の機会があれば出来るだけ足を運びたいです。
posted by 大阪下町オヤジ at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | アートなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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