2008年07月30日

アート> 「佐喜眞美術館コレクション −洪成潭・ケーテ・コルヴィッツ・上野誠展−」 佐喜眞美術館

沖縄県、宜野湾市にある、佐喜眞美術館に行ってきました。 そこで開催中の展覧会、「洪成潭・ケーテ・コルヴィッツ・上野誠展」を見てきました。
これも一つ前の記事と同じく、先週沖縄に旅行した際に行って見てきた展覧会です。

公共交通機関では、バスと言うことになるのですが、他に回りたいところがあり、その場合、バスでは、乗り継ぎや運行の本数の関係で時間も手間も非常にかかるというホテルの方のお話で、結局タクシーを時間貸しでレンタルして行ってきました。
(結果的にはこの方が非常に良かったと思っています。)


この美術館は、沖縄の米軍基地の中でも有名な普天間基地の敷地の端に食い込むように建築されている美術館です。 規模的にそんなに大きい敷地、建物の美術館ではありませんが、あえてこの立地に建築していると言うこと,また建物の屋上には階段がありそこから普天間基地が見えること,階段の設置にもこだわりがあって、6月23日の慰霊の日の太陽の日没線に合わせて作られていること等々、非常に明確な意図とメッセージを持って作られている美術館です。
※美術館の小パンフレットからの引用になりますが、生と死,苦悩と救済,人間と戦争,が作品コレクションのテーマであるとのことです。


一番奥の常設展示されていたのが、原爆の図の作品で有名な、丸木位里・丸木俊さんの“沖縄戦の図”正面と両脇に展示されていましたが、もはや壁画といっていいくらいの大きさで、ストレートに戦の悲惨さを描き出そうとしています。

今回の企画展の作家さんは、
洪成潭さん:韓国民衆美術運動の作家さん、木版画で、光州事件を扱った作品が展示されていました。 その鎮圧、弾圧された人々の苦しみを描こうとしていると言う感じ。 かなり政治的な意味合いも強い傾向の作品のような気がしました。
上野誠さん:初めて作品を見た作家さん。 この方もモノクロの版画作品。 鳩が結構描かれていたりして、この方もやはり、平和への強い願いをもたれているように思いました。
ケーテ・コルヴィッツ:過去一度、作品を見たことがある作家さん。 モノクロの版画で、非常に良かった印象の作家さん。 今回も一番惹かれたのがこの作家さんでした。
一番圧巻であったのが、“家内労働”という作品。生活に疲れた感じのやせた中年女性が途方にくれているのか、何かをじっと見つめているのかと言う感じの静かな半身像なのですが、その明暗の度合いから来る、内に秘められた苦悩、悲愴が見る側に伝わってきて凄愴とでも言うべき一枚で、ぞっとするほどに、しかし目を離せない作品でした。

展示作品、建物、そこからの眺め、全てにはっきりしたメッセージが込められている場所です。 正直、ずっとここにいると、気持ち的に消耗してへたってしまいそうですが、こういうところをとにかく訪れて、考えたり、何かを感じ取ったりするきっかけに出来れば良いと思います。 そういう点で、存在自体に意味が十分にある美術館と思います。

私も、屋上まで出て、階段の上から普天間基地の方角を眺めてみました。 で、一番印象に残っているのが、美術館の敷地の先にはすぐにフェンスが張ってあって、そこからは基地なのですが、基地の敷地の一番外と言うのは、緩衝地帯といって、誰も入れない領域にしてあるのだそうです。その部分だけ、実に濃密な緑がびっしりと、誰も手入れもされない放置したままの植物伸び放題の領域があるのですね。 で、その先には、道路とか、整備された基地の施設があるわけです。(人を拒む緑の壁の領域と言う印象でした)

本当なら、その緑の領域だって、人手を入れられれば、ちょっとした畑とかに出来たり、利用できる、人のにおいのある空間に出来ると思うのですが、無理やりにそれが出来ない状況が作られている。 そこになんとも釈然としない物を感じました。 別に緑が残っていること自体は文句を言う筋合いのことではないと思います。しかし、それが誰かに何かを強制されている結果であると言う所に、どうしても疑問符を感じてしまうと言う所ではないか?と思っています。

人によりけりでしょうが、私は、とにかく一度その場に自分の体を持っていって、この場所を直接見て感じたと言うことに意味はあったし、良かったと思っています。 一度機会があれば、訪れてみて損は無い美術館であるように思っています。


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2008年07月28日

アート> 「哀愁と血の造形 −嘉手川繁夫の世界−」 沖縄県立博物館・美術館

沖縄県のゆいレール(沖縄都市モノレール)、おもろまち駅から歩いて10分くらいの所にある沖縄県立博物館・美術館で開催中の企画展,「哀愁と血の造形 −嘉手川繁夫の世界−」を見てきました。 7/15〜8/31の開催です。 美術館の企画ギャラリー1・2での開催。

実は、先週沖縄に行ってきました。(観光旅行です)。 で、この展覧会は、この作家さんを見に行ったというよりかは、とにかく美術館には行ってみたいと思って行った結果、これをやっていたので見てきたというところなのです。 しかし結構独特な表現で、なかなか面白いなぁと感じましたので、今日、感想を書いてみようとしています。

この作家さんの表現は、一つは、かなり具象のテイストを持ちつつも抽象的な模様で画面構成がされている平面作品。 もう一つは、古びて錆も出ている鉄を組み合わせたオブジェ作品。 展示作品としては、大きくこの2種類と言う所でした。

平面作品は、重厚なマチエールが特徴的で、主に緑が使われている作品が印象に残っています。 タイトルは、具体的な名前がついていて、タイトルの“哀愁と血の造形”から連想されるような、この作家さんの根源的な情念のような物が感じられるものでした。

マチエールは、油彩,または油彩+ボンド+胡粉とかを使用して、細い線状に盛り上げた模様が有機的に連なっていて、時に人体のように,時に植物のように,時に古代生物のように感じられるといった感じで、深い緑と赤、結構独特でいい表現と思いました。
私は、一つの画面中の要素が少ないほうが好みなので、どちらかというと最近の作品よりかは、少し昔の作品の緑一色で後はマチエールの盛り上げの模様での流れと構成という感じの作品のほうが好みでした。


鉄のオブジェ作品のほうは、日常の道具とかが作品に組み込まれていて、これも人の営みとか想いとかが、作品の制作の作家さんの思いにあるのでは?と思いました。
この鉄の作品展示は、ライティングが好かったです。


この作家さんは、チラシの紹介文によると沖縄の出身で、東京の大学で絵を学ばれて、活動をされているそうです。 正直初めてお聞きする作家さんで、当然作品もはじめて見ました。 今回偶然ながら拝見したわけですが、関西の方で発表とかはされたりするのでしょうか?
また、会場の沖縄県立博物館・美術館もちょっとどこが入り口か分かりにくい感じであったのですが、結構独特の外観(特に周りを取り巻く壁)でこれも印象深かったです。



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2008年07月27日

アート> 「丹敬子展」 信濃橋画廊5

地下鉄本町駅すぐにある信濃橋画廊5で開催中の「丹敬子展」に行ってきました。 7/21〜8/2です。 信濃橋画廊の5階の展示スペースの大きい方の部屋です。

この作家さんの作風は、抽象平面。 細い手書きの味のある描線で三角,四角に画面が区切られる感じで構成が創られていて、色は、ピンク,青,茶等々、主調色と言えるのはこの3色と言う感じであったと思います。(細かい部分ではもっと色々色が使われています)

今回良かったなぁと感じたのは、まず、展示室に入って正面に見える壁ではなく、ちょうど反対の壁に展示してあった青色の作品。 色もきれいな水色に近い青で薄く塗られていて塗りも穏やかで、非常に静かな良い画面と思いました。

それとは、反対に、ピンク色で、塗りの刷毛跡も勢い強く残っている結構強目の作品も良かったです。 この作品は、作品自体もいいのですが、展示の仕方がよりこの作品を引き立てているように思えました。 余白をたっぷりとって、かつ壁面の全体の縦、横と作品の展示位置が非常にいいバランスで、壁面全体がこの作品のための額縁となっているかのような印象を受けました。 あらためて、どこに、どう展示するのか?というのは重要なことだなぁと感じた次第です。
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2008年07月26日

マンガ> 「るくるく」9巻 作:あさりよしとお

あさりよしとお作,「るくるく」9巻,アフタヌーンKC,講談社です。

いつもながらの宗教ネタで楽しませてくれる、結構シュールでブラックでもある笑いのギャグマンガの第9巻。
全体としてのお話しの展開は、相変わらずで、ほとんど変化も進展もなくといった所。
まあ、各ネタそれぞれ、笑わせて、楽しませてもらったので、まあええんでしょう。


とりあえずは、最初のエロ本ネタでしょうか?まあべたですが、宗教者でも破戒僧でも一般の人でも、別に嫌いな物じゃないですよね。(私は大好きですが・・・)
“悪魔の休戦”,街が停電になってしまった結果、神の使いも、仏教同士の争いも、とりあえず寒さをしのぐのが先ということで、みんなで仲良く、七輪で炊いた汁をいただき、しみじみ・・・。 という所までは良かったのですが、復旧した途端にまたそれぞれの主張を言い出して喧嘩別れということに。 宗教的なものに限らず人と人との関係ではよくあることですよね、なんか結構考え込まされるシーンでした。

そもそもの原因の“誤爆”ネタなんかは、アメリカの最近の戦争を明らかに皮肉っています。 それに“俺が正義だ!”的なアメリカの主張は、ある種宗教といってもいいのかもしれないですね。


“悪魔が来たりて餅をつく”,これは最後の“雑煮とはこうだ!”の喧々諤々で終わっているところが一番笑いました。 雑煮って本当に家庭毎に流儀があって、ダシ,味噌の種類(使うか使わないか含めて),具は何を?,餅(角or丸,焼く焼かない)等々、本当に家庭毎に違いますよね。 何人かが集まって自分の家の雑煮話になると必ず人の家の雑煮のどこかにけちをつけてしまいますよね。 みんな自分の家の流儀こそが“正しい雑煮”だと思っているので、余計始末が悪い。 これも、“自分のあたり前”こそが“あたり前”だという押し付け合いと言うことですね。 雑煮なら他愛の無い争いなのでいいですけどね、百人百様の雑煮が存在していればいいのです。

色々のネタで、毎度楽しませてもらいました。 最後辺りに出てきた、ヨフィエル以外の上級天使らしいの登場が話の変化に繋がるのでしょうか?あんまり変わらないかも?とか思いつつの読了といった巻でした。
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マンガ> 「GIANT KILLING」6巻 作:綱本将也,画:ツジトモ

「GIANT KILLING」6巻,作:綱本将也,画:ツジトモ,モーニングKC,講談社です。この巻は、前巻からの続き、強豪チーム名古屋との試合で勝利を得て、さてこれからと言う所から始まります。
その後の2戦,勝利を収めたはいいのですが、その後のドローの連続でまたチーム内の雰囲気が悪くなり始め、ついにハーフタイムに衝突,そして後半へ向かう所でこの巻が終了しています。

選手たちは後半、監督の言葉をそれぞれがどう受け止めたのか?そして結果的にチームとして機能することが出来るのか? その辺りが、次巻の最初の見どころかと思います

今回登場の新キャラクターFWの夏木選手ですが、前巻の予告ページの印象で、“癖の強そうなキャラクターだなー”と感じて、この選手が入ることで、選手間の感情的な軋轢が高まるのではないか?と思っていたのですが、そんなことは無くて、まあデリカシーに欠ける言動は多々あるものの、本人はいたって悪気の無い、ちょっとサッカーに関しては熱すぎて、周りが困惑するほどに突っ走ると言う、相当に“変”な方ですが,どこか憎めない、愛すべきキャラクターというところでした。
むしろ、この復帰してきたFWによってこれまでのスタメンの位置が脅かされた世良選手がひそかに悩んだり落ち込んだりと言う所に重点を置いて描かれています。


しかし、まあなんと言いますか、サッカーと言うスポーツは、ままならないものなのですかねー??? まあ現実のチームでも、悪い試合して無いのに勝てないとか、圧倒的に攻めながら点が遠いとか、見ている側も、それ以上に現実にプレーしている人たちがもどかしさを感じていそうな状況というのは、よくスポーツニュースなんかでも言っていますよね。
この作品は、監督が主人公なので、そういった様々な紆余曲折を如何に打開するか、またはコントロールするか、という所を描く所が魅力の作品なので、少なくともETUが当たる所敵なしという状況になることはまず無いでしょう。



この巻もやっぱり面白かったです、色々書いてますが、結構一気に読ませてくれましたし、作品の,登場人物たちの持つ熱さにはまだまだ惹きつけられる物を感じます。
是非是非、このクオリティを維持していただきたいと思うところです。そして、きちんと上手くまとめて欲しいですね。(中途半端な終わり方はしてほしくないです)

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2008年07月21日

アート> 「谷森ゆかり展」 信濃橋画廊5

地下鉄 本町駅近くにある、信濃橋画廊5で開催(7/7〜7/19)の「谷森ゆかり展」を見てきました。

信濃橋画廊5の2つの展示室を使って、一つの部屋では、布を使ったオブジェが組み合わさったインスタレーション+ドローイング的な平面作品を、もう一つの展示室では、ビデオ映像作品が流されているという展示でした。

映像作品の方は、今回も、見ていて正直こちら側がつらくなってくるような、痛みと言うか、ある種のいたたまれなさを感じる映像作品。 この方の映像は、今回のように号泣といえる表現をとられたときももちろんですが、笑っていても、無邪気で朗らかな印象というよりも、つらいのに無理やり笑っているような表現で、どうにも気持ちが惹きつけられる表現ではあるのですが、見続けるのは、結構しんどい作品です。 しかし、真摯に表現をされようとしていると私には思われます。 茶化したり韜晦したりという所は無くて、真正面から四つに組んでいるという印象。

広いほうの展示室には、布でドーナツ状のクッションみたいな状態の塊を幾つも積み上げて、色々な高さにしたものが4−5個、展示されていて、インスタレーションと言う感じ。布はかなりほどけている感じで、ほどけた端がずろずろと垂れ下がったり床に広がっていたりするのですが、それがなんとも長い髪の毛が垂れ下がっている感じに見えて、これもまた見る側の気持ちが不安定になるような雰囲気の作品。 個々のオブジェ全体も有機的な印象で、そんなに大きいわけでも無いのに、どこか迫力があってぐっと迫ってきます。

見る側にひたひたと、迫ってくるような作品と言うのが全体から受けた印象です。
心地よいと言うわけには行きませんでしたが、非常にいい表現と思いました。
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2008年07月20日

アート> 「第26回グループでないグループ展」 京都市美術館別館

京都市美術館別館1,2Fで開催中の「第26回グループでないグループ展」を見てきました。 7/15〜7/20の開催です。

抽象表現が作風の現代美術作家が集まって1年に一回開催しているグループ展。
結構、継続して見てきている展覧会です。


今年の展示作品で、一番よかったなぁと感じたのは、鳥居宏さんの作品。 注射器で勢い良く絵の具を画面に噴きつけ、そのときの飛沫、痕跡が面白い作風。 今回の3枚の作品は、いずれも赤の地に白絵の具という画面、3枚とも良かったのですが、個人的に好きだったのが一番右に展示されていた、横に2本線を引いたような構成の作品,横線が画面内にとどまることなく外まで一気に引かれているところが、広がりと勢いを感じた1枚。

前と比べてとてもいい感じになっていると思ったのは板倉広美さんの作品、布に墨を流して、という作風は変わっていないのですが、模様のつけ方が、台形に山が盛り上がったような形が幾つかあるという感じの模様に統一が取れていて、前より、見ていて全体に統一が取れているように思えました。

その他印象に残った作家さんは、勝井真知子さん,北中且子さん,嚴愛珠さん,下千映子さん,廣瀬紀明さん,山下はるみさん,の作品が印象に残っています。
特に山下さんの作品は久しぶりに見た気がするのですが、やはり流れ、勢いがとてもよかったです。
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2008年07月15日

マンガ> 「この世界の片隅に」中巻 作:こうの史代

「この世界の片隅に」中巻,作:こうの史代,アクションコミックス,双葉社です。
太平洋戦争末期の広島・呉,そこに嫁いだ、かなりのんびりな女性主人公“すず”の日常を描きながら戦争末期の困窮、物資不足、制約が増す社会、等々、本当にその時代の一庶民の生活が地に足の着いた形で描かれています。

すずとその家族が結構全体としてものんびりしている感じに描かれているので、読む側にきつく切り込んでくるわけではありませんが、その時代の庶民の生活が更に困窮の度を増してきている様(配給の制約がきつくなる、教科書が手に入らない、闇市の存在)がごく自然な描写として描かれており、通常の炭が手に入らないので代用品を自作せざるを得なかったり、何気なく、あたり前に登場人物たちが発するセリフが、その時代の制約のきつさ、困窮度合いを感じさせます。

さりげなく使われると言うことは、その時代の人々にとってあたり前の言葉であると言うことで、そういった感覚になってしまっているということが、そのままその時代が如何に今とは異なっていたかを逆に深く感じさせることになっているように思います。


また呉の町も、空襲を受けて家が焼けたり、建物の下敷きになったままほったらかしの死体を見てしまったり、幼馴染の水兵さんが訥々と語る、今の軍隊や社会状況への疑問など、生活の困窮だけでなく、いよいよ空襲などで死に直面すると言う風に戦況は悪化していることが描かれています。

幼馴染の水兵さんが主人公に語った“お前が普通で安心した”,“自分は何時からあたり前でなくなったのか?”,“普通で、まともでいてくれ”,などのセリフが非常に重いものに感じられます。 それがどれだけ貴重なことであるのか、戦場に赴いているこの水兵さんには実感としてよく分かっているのではないでしょうか・・・・。

その他、カルタの文章が実に軍国的なものであったり、プロパガンダ丸出しであったり、遊郭の存在が描かれていて、そこには困窮のため売られてきて、その遊郭内しか知らない女性たちがいることなど、生活面の裏側に存在する部分なども描かれていて、それもまたその時代の庶民の間違いなく存在した現実の一つとして描かれています。

この中巻では、20年4月まで描かれていて、後4ヶ月ほどで20年8月に至ります。
下巻では、どのように描かれるのか?投下直前までで終わらせるのか、その後の復興も描くのか?正直分かりません。 しかし次を楽しみに(半分怖いですが)待っていようと思います。
この作品は、あくまで庶民の視点、感性で、この時代を描いていると言う点で非常にいい作品と思っています。 下手にプロパガンダ的にとか観念的に主義主張を前面に押し出すより、こういった作品のほうが、いかに日常とそれが維持されることの大切さを読む側が感じ取ることができるのでは無いでしょうか?

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2008年07月13日

アート> 「コレクション2」 国立国際美術館

中ノ島、地下鉄 肥後橋駅近くにある、国立国際美術館で開催中の「コレクション2」を見てきました、7/1〜9/15の開催です。 この美術館の地下2階の常設展示室で開催中です。

この展覧会は、一つ前の記事で書いた「塩田千春展」と同じフロアで開催中、奥に進むとそのままこの常設展示のコレクション展が見られるという状態。 タイトルの通り、国立国際美術館のコレクション作品の展示で、今回は二人の作家さんの写真作品の展示。

宮本隆司さん,石内都さんのお二人の作品展。 同じフロアで開催中の「塩田千春展」と似た傾向の作品をということなのかも?とか思ったのですが、お二人とも作品の傾向として、やはり、人の持つ(または人の営みの持つ)痛み、悲しみ、儚さといった辺りを捉えているように私には思えました。

石内さんの作品は、モノクロの写真で、老人の皺があり、しみもありと言った身体の部分を捉えた作品。 それから、体についた傷跡を大きく捉えた作品でした。 これは割りとストレートに痛み、つらさ、悲しみという辺りを描いていると思いましたが、もしかしたら、そういったしんどい部分がありつつも、人というのは生きている。。 ということもあるのかなぁ〜〜と思ったりでした。

宮本さんのほうは、主に取り壊されていたり、改修中であったりする建物の様子を写真に収めています。 使用されている期間は、きれいで整えられた空間である建物も、改修されたり取り壊されたりしているときは、壁が崩れる,支柱も曲がっていたり、保護のためにカバーが掛けられていたりといった感じで、どうも、、、 華やかな場所という物も、永久の物ではなく、いつかは崩れるし、または維持のためには、一時的であれ修理のために手を入れ続けないといけない。 そんなこんなで、儚さというところがあるのかな〜という所。

こちらの作品もとてもよくて、今回行った、B2Fフロアは両方よかったなぁ〜〜と思いました。 フロア全体として、どうゆう展示とするか?も良く考えられているのではと思いました。
そういう点でも、実際に行って良かったと思いました。

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アート> 「塩田千春展」 国立国際美術館

中ノ島、地下鉄 肥後橋駅近くにある、国立国際美術館で開催中の「塩田千春展」−精神の呼吸−を見てきました、7/1〜9/15の開催です。 この美術館の地下2階の展示室で開催中です。

この方は、ドイツ、ベルリンを拠点に活動されている作家さんだそうです。 チラシによる、過去の作品紹介の中に、この前の“横浜トリエンナーレ”への出品作品が挙げられていて、私も確かにその作品,天井から床まであるくらいの巨大な、泥に汚れ果てたワンピースが5枚くらい、吊り下げられていて、そこにシャワーで水がかかっているという作品,を見ました。 確かに見た記憶があります。 その作家さんの展覧会。

インスタレーション作品、写真作品、ビデオ作品と色々展示されていましたが、全体から受けた印象は、見ていて、不安感,痛みを感じる,といった作風。 見る側につい色々と考えさせる物があるという感じです。

エスカレーターを降りて、最初に目に入ったのが、赤い毛糸と、古い多数の靴を使ったインスタレーション。 床にたくさんの古靴が置かれていて、その一つ一つの靴には赤い毛糸が結び付けられていて、その毛糸は直線的に奥の壁面の一点まで引っ張られています。 全体として見て、壁面の一点から放射状に多数の赤い毛糸が張られていて、その先には靴が結び付けられているという風に見えます。
何より印象的であったのが、赤い毛糸が放射状に広がっている様が非常にシンプルで且ついい感じで、空間としてとてもいい構成になっていると感じたこと。

実際の所は、床に置かれた靴には、個々にそれぞれのいわれとか、思い出のようなことが書いた紙がつけられていて、まあ、制作の意図の中には、たくさんの人の想いとか、それを結び付けるとかいった所があったのかもしれませんが、私としては、そういった意味的なものよりも、ビジュアルな糸を使っての空間構成が面白いと感じた作品でした。


その他には、黒い毛糸を使って、物の周りを複雑な織りで取り囲んでいて(蜘蛛の糸に絡め取られているというイメージ)、中にあるものに手は出せないという感じになっているインスタレーション作品が幾つか。 一番大きいのは、奥の展示室に向かう一室を使ってたくさんの病院のベッドを黒い毛糸の網で取り囲んだインスタレーション。
こちらの作品は、ちょっと、毛糸の網の織りが複雑すぎて、個人的にはうるさいと感じてしまいました、もう少しシンプルなほうがいいなぁと思ったのですが、帰り際にふと思ったのが、もしかしたら、この黒毛糸の網は、脳の神経細胞の接続の様子をイメージして作られたものかもしれないと思いました。 それはそれで作家さんとして一つの意図を持って作られたということでしょう。 でも、やっぱりもう少しシンプルな織のほうが見ていて素直に見れたと思います。


奥の部屋には、写真、ビデオ作品が展示されていました。 いずれも生きていく上での不安感、痛みを思い起こさせる感じでした。 特に“絵になること”という作品は、ちょっと痛々しい感じがあって、長くは凝視していられないという気分でした。

人間、生きているうちには、“どうしてこんなことが?”と思うような、理不尽な、不条理なと思われるような不幸なこと、トラブルが降りかかってきたりもします。 そして最終的には、老いや、死が訪れます。 そういった諸々のことに対する不安や、恐怖、苦しみなどがどこか潜んでいるように私には思えました。

見ていて、見ている側の気持ちがつらくなるような、痛みを伴う表現をされていると思います。 しかし、いい作品で、足を運んでよかった展覧会でした。

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2008年07月09日

アート> 「ヨシダコウブン展」 アートスペース海月文庫

地下鉄 西中島南方駅から歩いて7〜8分。 アートスペース海月文庫で開催中(7/5〜7/11)の「ヨシダコウブン展」を見てきました。

サブタイトルは、−鳥面と不思議な動物たち−,焼き物で、具体的に“どの生き物”とは言えないのだけれど、お面であったり、全身像であったり、貝であったり。
具象ではあるのですが、写実ではないという感じで、俗に言う“かわいらしい”という造形でもありません、ちょっと癖があります。


しかし、なんとも不思議な愛嬌というか、幻想的なところも持ちながら、親しみ易さがあり、目の造形や視線の向きなんかは、場合によっては、不気味な造形になりかねないところなのですが、全体としてなんともユーモラスで、展示空間にいて、不思議と気持ちが、のんびり,ぼんやりさせてくれるとてもいい造形。

展示作品は、鳥のお面を思わせるもの、何の動物か定かでないながら、とにかく何かのお面、カメレオンの全身像、貝殻の造形など、展示空間全体としては、結構静謐な感じであったのですが、上記の通りの親しみ易さを感じる造形で、非常に良かったです。
(親しみを感じると書いていますが、だからといってありきたりな、単に可愛い、きれいといった見る側に媚びるような表現では全くありません、むしろ作家さん独自の癖が結構強いくらい。 でも私はそういうのが大好きです)


お面もそんなに大きいものではなく、大人の男の人が手のひらを広げたくらいの大きさで、
これなら自宅に飾ってみたいくらいだと、ちょっと気持ちが揺らぐものがありました。


日曜日に行こうと思っていたのが行けなくて、今日、何とか早く帰れたので行けたのですが、行って本当に良かった展覧会でした。 見るものに鋭く切り込んできて、ぐっと緊張し、気持ちが揺れる,もちろんそういう作品も大好きで、大いに結構なのですが、こういう見る側の気持ちをやんわりさせてくれる作品というのも非常にいいものです。 足を運んで大正解でした。
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2008年07月08日

本>エッセイ 「ノラや」 作:内田百

「ノラや」,作:内田百閨C中公文庫です。
ふとしたきっかけで、家で育てることになり、その後なぜか出かけたまま帰らなくなってしまった“ノラ”,そのノラを待つ内に、これもまたいつの間にか飼うことになってしまい、病死した“クルツ”。 猫への思いに涙し、一喜一憂する心情を飾らずに綴った14の章から構成される連作エッセイ。

この作品の魅力は、もういいおじいさんである、百關謳カ(この方の晩年に近い年の作品であるので、老齢と言ってもいいくらいの時期の作品であるはず)が、飾ることなく、自らが猫のことを思い、嘆き悲しみ、おろおろ悩み、失踪したノラを探すために、チラシを何回も刷り、はては外国人の人に拾われたかも知れぬと英語のチラシまで刷ってしまう。

そういった、感情としてどうしようもないという所を隠すことなく、綴っていてくれる所と思います。 正直、あまりの悲嘆ぶりに、最初は、いい年をした大人なんだからもう少し落ち着けばいいのに・・とちょっと皮肉に見てしまうところもあったのですが、あまりに身も世も無くといった感じにそのつらさを語られるので、段々読んでいるこちらも感情移入してしまって、こんなに心配しているのだから、何とか帰ってきてやってほしいものだと、百關謳カに励ましの手紙を送られた、多くの同時代の方々と同じような、応援する気分になってしまいました。


単純に、または冷静に考え、判断するとしたならば、人間より寿命の短い猫が人より先に死ぬのは致し方の無いことで、失踪した猫も、死んだか(殺された含む),他で飼われたか,また野良猫になったか,大体その運命は想像がつくものなので、そう思って、気持ちを落ち着かせて、そして大抵はその辺りで諦めがつくものです。

だから、見様によっては、この作品は、ただの愚かな老人の愚かな愚痴を綴ったに過ぎないと断じてしまうという見方もあると思います。 しかし、理屈はともかく、感情として時に人間は、理不尽なほど執着したり、囚われたりしてしまうものであるということも、また人の心の持つどうしようもない一面であると思います。

そういう意味では、人間の持つ“情”の部分が全面に押し出されている、そこを綴っている作品といえると思います。 そこを一概には否定できない,というよりしたくない,というのが一番の感想でしょうか。 (身近な物に対する理屈抜きの哀歓、情といったもの無くしては人間として何かが欠けていると言われてもしょうがないとも思います。)

正直に言いますが、あまりにも“情”が強すぎたりして、何かに囚われすぎてしまうのはもちろん良くないことです。 現実問題,読む側としては、作家さんの悲しみは悲しみとしても、ある程度、一歩引いて読むことが必要だと思います。
その前提を持った上で、素直な感情の吐露を素直に読み共感する、ということで、いいエッセイでは無いかと思いました。 ごちゃごちゃと書きましたが、哀歓とユーモアもある、なかなかいい文体でしたし、結構お薦めの作品です。
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2008年07月07日

アート> 「内藤伸彦展」 信濃橋画廊apron

地下鉄 本町駅近くの信濃橋画廊apronで開催中(6/30〜7/12)の「内藤伸彦展」−ひびはずれる−を見ました。 信濃橋画廊の地下の小さいほうの展示室です。

この展覧会を見たのは、昨日だったのですが、素材というか、物質の特性を上手く使われた作品であるのが印象的でした。

この方の作品は、土を使用した立体(オブジェ)で、展示空間に上手く配置が成されているのでインスタレーションとも言える展示という所かと思いました。


基本的には、土で作った立方体で、そこに大きくひび,割れ目が入っていて、それが面白い。 立方体自体は、ピシッと角度も決まっていて、平面部分の表面は滑らかで、そこにひびがビシッとはいっているので、要素的に少なくていい感じという、個人的に好みの作風。

最初は、土なので、焼いてあるのか?と思っていたのですが、作家さんがおられて、少しお話しを伺うことが出来たのですが、焼いてなくて、乾かしただけの、いわば日干し煉瓦状態のようなものだそうです。 そして、このひびは、乾く過程で表面と内側の乾き具合の違いにより、入るものだそうで、作家さん自体も完全に細部までコントロールできうるものでは無いとのことでした。
しかし、自分の望むひびにするためには、急速に乾かす工夫をされたりとか、色々独自の工夫とか、ノウハウをお持ちのようでした。 そうでないと、あれだけ多彩な大きさの土の塊に、自分の満足する形でひびを入れられるということは無いのでしょうね。
(相当に試行錯誤もされたのではないでしょうか??)


結果としての作品の状態も、その製作手法、過程も、非常に独自の表現と思いました。
見ることが出来て、良かった展覧会でした。
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2008年07月06日

アート> 「青山洋子展」 信濃橋画廊5

地下鉄 本町駅近くにある、信濃橋画廊で開催(6/30〜7/5)の「青山洋子展」を見てきました。 信濃橋画廊の5Fの展示室2つを使用しての展覧会でした。

この方の作風は、抽象平面が基本、今回は、同じ作風でそれをそのまま小さな直方体を作られて、インスタレーションのように展示しているのが小さいほうの展示室。
普通の?平面作品を展示されているのが大きい方の展示室でした。 こちらは、そんなに大きい空間というわけでもないのですが、150号の大きさの作品が2枚展示されていました。
(案外余白があったので窮屈な展示には感じませんでした。結構いけるものなのですね〜〜)


この方の展覧会はこれまで何回か書かせていただいているので、基本の作風に関しては、過去記事を御参照ください。

感想を書いてみますと、小さい展示室の立体を使用してのインスタレーションの空間のほうは、要素となる立体の個々の面白さというよりも配置、間の取り方など、展示空間全体としておもしろい感じでした。

大きい展示室のほうは、入って最初に目に入る壁面の茶色の作品が結構迫力があって惹きつけられた感じ。 しかし、もう少しぼんやりしているか、縦線とその周りの暗い部分がもう少しコントラストが緩いほうが茫洋とした感じになっていいかも? とか思いました。
しかし、入って最初にぱっと気持ちを惹きつけるという意味ではこれくらいがいいのかも?とも思ったりもした作品。
もう一枚の、緑基調の作品は、この展示室の距離で見るにはちょうどいい感じでは?と思ったいい作品。 小品も幾つか展示されていて、こちらは、夏向きの青基調の涼しげな感じ。


基本的に要素少なくて、でもとてもい感じという個人的に好みの作風なので、今回も良かったです。
posted by 大阪下町オヤジ at 01:50| Comment(0) | TrackBack(0) | アートなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月02日

本>エッセイ 「一病息災」 作:内田百

「一病息災」,作:内田百閨C中公文庫です。
自身の数々ある持病とその付き合い方を飄々と綴った、なんとも可笑し味のある随筆集。


この作家さん、内田百閨iうちだ ひゃっけん)さんの作品は初めて手を出しました。
この方のお名前自体は、結構昔から知ってはいました。 それは映画「まあだだよ」を観てのことで、この方とその生徒さんたちのほのぼのはしていますが、どこか一風変わったところもある交流を描いた作品で、結構好印象な作品だったのです。(カラーの黒沢作品では結構好きなほうです)


で、その後、最近になって何度か他の本等でこの方のお名前が出てくるのを見て、では一度手を出してみようか?と,とりあえず、エッセイ作品からでもと思って手を出してみたのがこの作品です。

どうも読んでみると、一病どころか種々の持病をお持ちで、結構苦しい目にも会っておられるようですが、(しかし、酒の飲みすぎに関しては多少自業自得の感も無きにしも非ず)その付き合い方を飄々とした文体で綴られています。
しかし、純粋に身体的な病気というよりも、むしろ神経的な面から、体調に影響が出ているのでは?と思われる症状もあるように私には思えて、今であれば、心療内科とかにもお世話になるかも?とか思ったりしました。


物事に関する独特の見方、捉え方がやはり面白く、楽しく読ませてもらいました。 しかし、結構この方も、性格的な癖は強かったのではないか?と思わせるところも多々あり、身近な存在だと結構振り回されてしまう方かもしれないなぁ〜と思いました。

一番、感心したというか、非常に印象深く気持ちに残っているのが、“目”の章で、宮城検校さんとこの方が交わした会話で、テレビが普及しだしたとき、検校さんがはじめ、「あんな物が出回ると、盲人がまた一歩後退することになる、ラジオだと音声だけなので、人は音から映像を頭で組み立てることになるので、盲人もそれ以外も変わらないが、テレビではそうはいかない」というようなことを言われて、百關謳カも同意していたのですが、数年後の対談で、今度は検校さんは「あんなに面白い物は無い、是非内田さんもお持ちなさい」とおっしゃる。

百關謳カは、前といっていることが違うとその訳を問うのですが、検校さんは、「家族の者とテレビを見ると、その話しを聞いて十分に楽しむことができる、みんなが見た映像の話しをするので、自分も見たような気分になれて非常に楽しいものだ」とおっしゃる。
百關謳カは驚嘆して、「あなたは他人の目で物を見るのですね」というと「それで結構間に合います」と検校さんは言うのです。

この“それで結構間に合います”という言葉が、なんとも言葉では形容も説明も出来ないのですが、非常に気持ちに残っています、しみじみ響いて、染み入ってきたという印象で、とにかくこの作品の中での一番の名言だと思っています。

視覚が無いということは、それだけ不自由であるのは確かなはずです。 それでも“それで結構間に合います”とすらりと言えるその心持というか,囚われていない心境というか、そういったものがなんともうらやましく感じました。
(自分も何かの不足,不満に対して、こういう風にすらりと言えることが出来るのか?なんとも心もとないです。)


この作品、古い作品なので、仮名遣いや、文体が結構古いです。だから多少読みにくいところもあったのですが、前後の流れから大体見当がつくので、古文のように意味がつかめないということは全くありません。 逆に、今は使わないけど、使われているのを読むと趣があっていい表現というのも多々あるので、一度取っ付いてみるのもいいのでは?と思います。 そういう点でもちょっとお勧めしてみたい作品です。
posted by 大阪下町オヤジ at 02:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 本の雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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