2008年08月31日

アート> 「3つの柱 −コレクションの底力−」 芦屋市立美術博物館

芦屋市立美術博物館で開催中の「3つの柱 −コレクションの底力−」を見てきました。 6/21〜8/31の開催です。

芦屋市立美術博物館のコレクションの中心をなすという、
 ・小出楢重と信濃橋研究所の作家たち
 ・吉原治朗と具体美術協会
 ・ハナヤ勘兵衛と芦屋カメラクラブ
の作品を展示した展覧会。 スペース的には吉原治朗の作品が展示室以外の廊下などにも展示されていましたが、基本的には、各々に展示室一つという構成で作品が展示されていました。


1F奥の展示室に、“小出楢重と信濃橋研究所の作家たち”これは具象作品で、個人的にはあまり好みで無いのでざっと見ただけという感じでした。

2Fの廊下+奥の大きい展示室には“吉原治朗と具体美術協会”の作品。 私は具体の作家さんの作品がとても好きなので、これは楽しめました。 具体に参加されていた、多くの作家さんの作品が見れましたが、今回意外というか,そうかもしれないなぁと思ったことがあったのですが、ある一人の作家さんの作風と思っていたものが、結構他の作家さんも感じが似ている作品が作っておられたりしていたこと。 村上三郎さんが白髪一雄さんを思わせる厚く盛り上がった油彩の画面を作られていたり、他にも何となく類似点があるような気がする作品がありました。

別にこれは、それが悪いといいたいわけでは全く無く、同じグループとして切磋琢磨されてきた訳ですから、当然相互に影響も受けたであろうし、その過程で似た傾向の作品が一時的に出来たりしたとしても、それはむしろ自然なことと思います。 
何となく、今日は、そういったプロセスを実際に見ることが出来たという点で、体験として貴重ではなかったかと思っています。(もちろん上記の私の推測が当たっていればの話ですが・・・)
やっぱり、白髪一雄さん、元永定正さん、田中敦子さん辺りの作品が私は好きですねぇ。とても良かった。


2Fのもう一つの展示室は、“ハナヤ勘兵衛と芦屋カメラクラブ”ここは、モノクロ写真の作品。 面白かったのは、ハナヤ勘兵衛さんの“船”とか紅谷吉之助さんの生き物のクローズアップとか、何かをクローズアップして捉えた作品が面白いと思いました。
割と小さめな作品が多かったです。


1Fのホールには、これまでのこの美術館の企画展のポスターのファイルが閲覧できるように置かれていました。 一つ見つけたい展覧会があって探したらありました、“セザール展”!!本物の車をプレスして、メタリック塗装をしたオブジェ作品で、物凄く良かったので今も印象に強く残っています。 また見たいなーと思いましたし、是非この美術館で企画してほしいものです。


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2008年08月28日

マンガ> 「よつばと!」8巻 作:あずまきよひこ

今日発売の、「よつばと!」8巻,あずまきよひこ,メディアワークスです。
7巻の感想を書いたのが、2007年の9月末になっていました。 ほぼ一年出なかったんですね。 その前の数巻を見てみると、どうも9ヶ月くらいで1巻というペースで刊行されていたので、今回少し間が空いたのですね。 休載とかあったりしたのでしょうか??初出情報が載っていなかったようなので、よく分かりませんが・・。 

この巻を読んで、いきなり“あれれ??”と思ったのが、最初のエピソードの初めを目にした時。 前巻の最後,牧場に行ったエピソードの終わり方が、みんなで走り出すシーンで終わっていたので、てっきり次のエピソードでは牧場の出来事の続きが描かれていると思い込んでいて、記事でも続きが楽しみということを書いていたのですが、ページをめくってみると、始まりは家の中で、もう牧場からは帰ってきていて、次のエピソードに移っていました。

何となく、各エピソードの終わり方、締め方がちょっと変わった感じになっているエピソードがあるような気がしています。 この8巻でも、“よつばとれすとらん!”,“よつばと文化祭!”,“よつばと台風!”などのエピソードは似たようなお話しの締め方をしているように感じられました。

もう一つ、面白かったですが、意外でもあったのが、“よつばとおまつり!”,よつばがはっぴを着て、地域のお祭りに参加するという様子を描いていますが、このお祭りが結構大規模で、かつ、この地域が結構人と人の横の繋がりが濃密な所であることが伺えたこと。
私は、よつばの住んでいる町は、新興住宅地みたいな場所で、あまり住民同士の横のつながりが無いイメージを持っていたのですが、お祭りの山車や、周りの人たちの参加状態からすると、結構歴史のある所と言う設定なのかなぁ?と思いました。(はっぴとか衣装とか本格的だし)

※しかし、それはそれとして、とーちゃん&ジャンボ&よつばの阿吽の呼吸の寸劇はいったい何なのでしょうか? アドリブであのノリが出来るとは・・・・。

その通り! と共感できたのが、“よつばとどんぐり!”,のドングリ拾いのところで、“座ると見つかるのか”というセリフ。 これは全くその通りで、立っているとドングリって見つけられないのに、一つ見つけてそこにしゃがむと次々と見つかるんですよねー。

そろそろ季節は秋に入ってきています。 次って何のイベントがありますかね? 運動会とか?それとも年末のクリスマス,正月でしょうかね? まあ、次が出てからの楽しみということで、待っていようと思います。
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2008年08月26日

マンガ> 「虫けら様」 作:秋吉亜由子

「虫けら様」,作:秋吉亜由子,青林工藝舎です。
前から、表紙絵の絵を見て、興味を持ってはいたのですが、1300円という高い値段であることもあって、なかなか手を出す決断がつかなかった作品。 今回初めて手を出してみた作品で作家さんです。


虫たちの生態を土台にして、そこから時には幻想的に、時にはその生態のままに突き放すように、16編の短編作品が収録されている作品集。

あとがきのほうを読むと、この作家さんは、表現として“絵巻”的な 表現が気になる様で、確かに、処々にそういうところが感じられます。

いいなぁと感じたのは、巻頭の収録作品である“瓢箪虫”,ある種のファンタジーな作品といえると思います。 暖かい季節の瓢箪虫と和尚のつかの間の交流と、季節がすぎて虫は儚く死んでしまう、しかし次の春、またその子孫が芽吹き始める。 過度に感傷的にならず、かつ温かみのある感じで非常にいい感じの一編でした。

虫けら様(一)〜(五)は、表題作ではあるのですが、虫の生態をそのまま描いているだけに思えて、作品として、もう少し何か足りないような感じがしてどうもいま一つの読後感でした。

それ以降に収録されていた作品は、絵柄としていかにも絵巻風の独特な表現であったり、“一人娘”,“蚤のサーカス”,“雪迎え”などは、幻想的な作風で、それぞれの味が感じられてこれらの作品はなかなかいい感じでした。

トータルな感想としては、確かに相当癖の強い作風ではあるし、あまり一般受けする作風ではないのは確かと思いました。 しかしなかなか、個性的な味のあるいい作品であると感じています。
1300円というお高めの一冊ではありましたが、買って、読んで、損はなかった一冊です。
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2008年08月24日

本>社会・思想 「怠ける権利」 作:ポール・ラファグ

「怠ける権利」,作:ポール・ラファグ,平凡社ライブラリーです。
原本の初版が、1880年の刊行という結構古い本。
基本の主張は、資本家、政治家、学者,宗教家その他諸々、色んな偉い人が、労働者に対してひたすらに働け、とその意義とか理由とか色々発言し、教え込んで、労働者が働かざるを得ない,働くことは義務でありそれが国や社会やひいては自分や家族のためなのだ・・・
という風潮にアンチテーゼを唱える形で、色々反駁を加えているという内容です。


その主張を、数式とか、調査した結果とかで、冷厳に示そうというのではなく、様々なたとえ話をたくさん提示して、読む側に、労働礼賛の思想を考え直してもらおうという思想的な啓蒙書のような内容になっています。

主張としては、なかなかいい主張だと思いますし、今のマーケット至上主義で何もかもが利益がどのくらいなのか?という判断基準で図られる現代に読んでも十分読む価値のある一冊であるかと思います。(古い著作ですが、今にも通じるものがあると思います)


ちょっと、たとえと主張がしつこいくらいに出てくるので、ちょっと辟易する所はありますが、ちょっと自分の今を振り返ってみるという意味で、一読するのは結構意味のある気がしております。(もちろん100%この作家さんの主張を肯定できて、著述にのめりこむというようなことはありませんが・・)

自給自足の生活を実現できていたりとか、社会と関わらないでも生活できるという人には関係ないとは思うのですが、ほとんどの人は、なんらか関わり、依存もし、生きているので、何かしら考えるネタにはなると思います。


この本を読んで、思い出したのが、開高健さんの「オーパ!」という作品の一節で、ブラジルの貧乏な漁師さんを見て“身は襤褸をまとおうとも、心は尭瞬の民”と形容し、ある種感嘆されています。 彼らは、自分の利益になる話とか儲け話とかそういうものに感心を示さず、筋金入りの貧乏ではある+文明のめぐみやありがたさは全く享受できていないのではあるが、それでもどこか自由に見える。

自分がそうなれるか?と問われると、それだけの覚悟は到底自分にはありそうにありませんが、どの程度働く/働かないかの決断をした時のメリットとデメリットをちょっと秤にかけて考えてみるのは無駄ではないのではないか?と思っているところです。
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2008年08月22日

マンガ> 「午後の国物語 REMIX+」 作:冨士宏

「午後の国物語 REMIX+」,作:冨士宏,リュウコミックス,徳間書店です。
昨日、本屋さんにこの本が並んでいて、その表紙絵をぱっと見たときに、確かにどこかで見たことのある絵柄だと思い、とりあえず手を出してみました。

中身を読んでみると、個々のエピソードの詳細までは記憶が定かではありませんでしたが、確かに昔どこかで読んだ記憶が残っている部分もありました。 何らかの形で昔接したことがある作品なのは間違いなさそうです。


作品としては、未来の地球を舞台に描いているSF作品、戦争で色々あって、人類は数的には少なくなって都市部を除くと後は、集落、村落レベルの街が点在するという状態のような世界観の設定になっています。 そんな街の一つバルハラに暮らす少年ベルが主人公。 戦争で生み出された人工生物で、いまは自分で繁殖して人類と共存している有尾族の少年クリップ達と織りなす物語が描かれています。

お話しの内容、展開は、まあほのぼのしたもので、叙情的でもあり、メルヘンチックなと言えるエピソードなどもあり、温かみのある絵柄とも相まって、穏やかに、しみじみ読めるといった内容ですが、設定の世界観としては結構、“黄昏ていく世界”という感じです。

あとがき等を読んでみると、この作品は、今回で、3回目の出版だそうです。
20年前の作品とのことで、おそらく根強いファンが存在する作品なのでは無いか?と思いました。
過去の出版作品のどれかを偶然読んで、それが記憶に残っていたのかもしれませんが、今となってははっきりしません。


構成としては、短いエピソードの連なりで一冊が構成されていて、お話し全体の大きな流れてとして完結しているという感じは受けませんでした。 これからも描き続けられるのかどうか?(Web版とかもあるそうなのですがそれはまだ見てません)分からない所です。
描かれている世界観としては結構気に入ったので、続きが描かれるのであれば、また見てみたい作品です。

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2008年08月19日

本>ミステリー 「砂の器」 作:松本清張

「砂の器」,上下巻,作:松本清張,新潮文庫です。
この作品も非常に有名な作品ですね。 でも、今回初めて手を出して読んでみました。


元々、私はこの作品は、映画作品として制作されたものを、TVで見たのが最初でした。
映画、TVドラマと何回も制作されている作品ですが、私がちゃんと見たのは、結構昔の映画作品で、丹波哲郎,加藤剛,緒方拳,森田健作といった辺りが出演していたやつです。


東京 蒲田駅の操車場で男の死体が発見される。 聞き込みの結果被害者の言葉に東北訛りがあったこと、会話の中に“かめだ”という地名とおぼしき言葉が出てきたこと、手がかりらしきものはそれだけという状態で、捜査本部は捜査を実施するが、時間が来て捜査本部は解散する。 しかし、老練の今西刑事は、地道に、しかし執拗に事件を追い続ける。
今西が手がかりを掴んだと思われたとき、それをかわすかの様に第2,第3の死人が出る。

あきらめない今西は、徐々に若き前衛芸術家集団である“ヌーボー・グループ”に属する2人の男へ近づいていく。


映画作品と、原作は、ディテールの詳細さという点では、当然原作がぎっちり情報が詰まっていますが、基本の設定はほぼ同じ。 但し、映画が、加害者とその父親の放浪とその原因に対する悲劇性がクローズアップされていて、加害者に非常に感情移入してしまうような構成になっているのに対し、原作では、その辺りはかなりドライに、さらりと扱っていて、加害者は、むしろ、それゆえにドライで冷徹なキャラクターになっているという印象でした。

原作での一番の魅力は、今西刑事の執念とも言える捜査で、何度も何度も無駄足を踏み、見当外れな判断もしたりしますが、こつこつと、地をはいずるようにして犯人に迫っていきます。  マスコミに取り上げられ、華やかに活動する、“ヌーボー・グループ”とは対極にある泥臭い活動ですが、最後には今西は犯人を追い詰めます。


ちょっと、種明かしの一つである電波を発生する機器使った犯行などは、ちょっと本当かな?と疑問があることと、種明かしが、最後に一気の説明の形でされることに少し物足りなさを感じるところはありましたが、そこに至るまでが多くの伏線をもちながらも実に緊迫感を持って読ませるもので、一つの作品として十分楽しめる推理小説になっていると思います。
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2008年08月17日

本>児童文学 「ハリー・ポッターと死の秘宝」 作:J・K・ローリング

「ハリー・ポッターと死の秘宝」上下巻,作:J・K・ローリング,静山社です。
概要については特に紹介する必要が無いほど有名な、ハリー・ポッターシリーズの第7巻で完結の巻。 このシリーズ、非常に世間でも話題になって、映画化その他ブームといってもいいほどに色々取り上げられています。 私もこんなに話題になっているのなら・・・と、ちょうど3巻か4巻が出た頃だったと思いますが、手を出して見ました。 一応最後までと思い、この第7巻まで読みました。

一応挫折することなく、最後まで読んだということで、記念に感想を書いておこうかと思います。
但し、6巻の発売から、相当に時間が経っての7巻の通読であるので、正直細かい部分や、印象の薄い登場人物など、かなり忘れているので、結構適当に読んでしまったところもあります。

この巻では、これまでの定番の展開であった、とにもかくにも学校の新学年の始まりから一年を通じて色々あって、一年の終わりに一応騒動が片付いて、夏休みに入る,という展開から外れて、主人公ハリーと親友二人は、敵役である闇の帝王を倒す鍵である分霊箱を探すあてども無い旅に出ます。
で、まあ様々に苦労を重ねつつ、最後の闘いに挑んでいくと・・・最後に関しては、まだ書かないほうがいいかと思いますのでこの程度で。


で、感想となるのですが、全体としては、最初の1,2巻くらいはそうも感じなかったのですが、段々、暗いというか殺伐としているというか、特に闇の帝王が復活を果たしてからは、どんどん全体の雰囲気がダークになっていったなぁと思いました。

魔法世界というファンタジーな設定ですが、魔法が使える/使えない,マグル生まれかそうでないか,魔法使いと妖精たちの間の確執,狼男や巨人に関する差別,等等、現実の人間社会の簡略版であるかのようにあらゆる差別/区別が魔法世界にも存在していたり、人が実にあっさりと死んでいったり(しかもその死があまりお話し全体に効いて無いような気がして・・・)と、ちょっと児童文学のカテゴリーの作品でこういうところがてんこ盛りというのは、ええのかな〜??とちょっと疑問に思ってしまいました。


もう一点、いま一つ7巻を読んでいて、気になったのが、どうも主人公ハリーの考えや、判断とかがどうも寛容さに欠けるなーと思ってしまい、そこもいま一つに思ってしまいました。 私が日本人的な感覚を持っているせいなのでしょうが、とかくヒーローやリーダー的なキャラクターには、大度で,寛容なところを求める所があります。
あまり人の話を聞かなかったり、人に対してひどく手厳しい(時には酷い)態度を取ったりしており、どうもその点は、あまり誉められたものでは無いなぁと感じました。
(イギリスとかでは、こういう他者に対して呵責ない態度というのは、それも一つの強さとして評価されたりするのですかね??? 詳しくないのでなんとも言えませんが・・・)


正直、子供に読ませたいか?と聞かれると、トータルで考えると、あまり積極的に薦めたいとは思わない作品です。 古いと笑われるかもしれませんが、私が薦めるとすれば、「ドリトル先生シリーズ」のような、もう少し世界観としてやさしいものを持った作品を薦めたいです。 


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2008年08月14日

アート> 「没後30年 W・ユージン・スミスの写真」 京都国立近代美術館

京都国立近代美術館で開催中の「没後30年 W・ユージン・スミスの写真」を見てきました。 8/5〜9/7の開催です。 ひとつ前の記事で書いた、「下村良之介展」を見たのと同時に見てきました。 この美術館の1Fのスペースにパーティションを作って展示されていました。

この方は、アメリカの方で、フォト・ジャーナリズムの世界で活躍されたそうです。 雑誌「ライフ」等で活躍されたとのこと、展示品の中にも雑誌が展示されていて、この方は自身で写真+文章を書いておられました。

展示の主体は当然写真でした。 二次大戦の写真(主にアメリカと日本の交戦地の写真)、カントリードクターとタイトルがつけられた地域の医療に従事した医者のシリーズ、その他黒人の助産婦、スペインの風俗、水俣の被害者等々、その被写体は、基本的には、社会の底辺で生きる人々とその問題に向かっているように思いました。

モノクロ写真なのですが、ビジュアル的な印象としては、少し絵画的なほどに整った光と影、構図などが、ちょっと造られすぎているような感じを受けて、あまり好みで無い作品も幾つかありました。 しかし、この方の場合、そこを気にするよりも、ジャーナリズム写真としての意味合いが強いものですし、何が撮られているか?切り取られているか?のほうが重要だろうと思います。
※ただ、あまりに写真が作り物めいてしまっては、現実を報道するという目的を達しない場合もあると思うので、まあ程度問題であるのでしょう。


様々な、社会の問題、底辺で暮らす人々と、戦場になったため、その地の幼い子供たちが栄養失調になっている様子など、あまり見て心楽しいものでは当然なく、気持ちが暗く、いたたまれない気分にさせるものが多いですが、こういうのを見るのも大事なことと思います。 なので、見てよかった展覧会でした。
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2008年08月13日

アート> 「下村良之介展」 京都国立近代美術館

京都国立近代美術館で開催中の「下村良之介展」を見てきました。 7/29〜8/31の開催です。 この美術館の3F企画展示の空間で開催されていた展覧会。

この方は、日本画の作家さんですが、伝統的な表現、手法ではなく、ドローイングという点でも、素材という点でも、色々独自の表現をされた方のようです。

まず面白いなぁと思ったのが、その描線が、神経質なほどに細い、シャープな線で、九尾ズムの構成を思わせる作品が多く、暖色系で、うねうねとエネルギッシュな情念を感じる画面となっているもの,それとは逆に、寒色系で、クールでシュールな感じになっている画面と色んな感じに仕上がっているものでしたが、人,鳥など、描かれている対象のデフォルメの具合や丸、四角、直線など単純化されてた要素の連なりで構成されている点等が個人的には面白く感じました、なかなか良かったです。

もう一つ特徴的なのが、紙粘土を用いて、画面上に厚めの盛り上げを施していて、それが丸、直線、シャープな尖りなどが凹みや盛り上がりで構成されている重厚なマチエールも面白かったです。 凸凹が結構要素として派手なので、色はほぼ単色で塗られているので、うるさい感じはなく、非常にいい感じでした。

私には、描き手の気持ちが伝わってくるような、派手ではないが、固有の迫力を持った画面を作られていると感じましたので足を運んでよかった展覧会でした。


その他、平面作品以外で、とてもよかったのが、“やけもの”とタイトルについている、デフォルメされた動物の焼き物のオブジェたち。 平面作品の持つ緊張感が、こちらの作品では、あまり強くなく、むしろ、どこかユーモラスな印象をこれらの作品からは受けました。 作家さんの別の側面も見られたという印象で、これも良かったです。

久しぶりに、この美術館の展覧会を見に行った気がします。今回も足を運んでよかった展覧会でした。
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2008年08月11日

マンガ> 「やさぐれパンダとペンギン」 作:山賊

「やさぐれパンダとペンギン」,作:山賊,小学館文庫です。
ふと本屋さんを見ると棚に並んでいたので、手を出しました。 やさぐれパンダ1,2に続く文庫。 いつものパンダと山賊に加え、新キャラペンギンが加わり、今回は、旅に出るという趣向。

今回のペンギンも、その造形,フォルムは、正直もうちょっとどうにかしたほうがいいのでは?と思える、ちょっと落書きっぽい独特の癖のあるキャラになっています。
他にも、不思議な卵キャラ、濃い外人、今回大きく登場するナマズ大先生等々、独特の癖のあるキャラクターが続々出てきます。


旅は、何でも夢がかなうという“虹の国”をみんなで探すという展開なのですが、特別苦難に満ちてとかそういうわけではなく、この作品らしくゆるーい流れで到着してしまいます。

この方の作品は、その独特のシュールなキャラと、シュールな台詞回しが魅力と思いますが、今回もそれは健在で、結構笑えました。
また、いつもの著作権ネタも入れられていて、今回は某有名アニメの正義の味方キャラでした。 これもいじり方が上手くて面白かったです。


これは続きがあるのですかね?あまり情報を持ってないので良く分かりませんが、次が出たら・・どうですか・・・まあタイトルとかを見てから考えるという所のような気がします。
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2008年08月10日

本>ノンフィクション 「カラシニコフT」 作:松本仁一

「カラシニコフT」,作:松本仁一,朝日文庫です。
旧ソ連の設計技師カラシニコフが1947年に開発した自動小銃“AK47”(又はカラシニコフ)。 60年以上前に開発された銃であるにもかかわらず、今も実際に現役の銃として使われ続けている。 その主な理由は、悪条件の環境下でも確実に動作するという信頼性の高さ、ほとんどメンテナンス無しでも動作するという扱いの容易性にあるという。

一つの技術製品としては、誠に賞賛に値する項目が挙がるこの銃ですが、しかしものが“自動小銃”という兵器であるので、残念ながら悲しい機能性、そしてその悲しい優位性ということになるのだと思います。

AK47は、その信頼性の高さから共産圏各国でライセンス生産され、そして、冷戦構造の時代の政治的理由から、また経済的理由から大量に発展途上国に流入した結果、多くの国で多くの内戦で使われ続け、その結果多くの人々を傷つける結果となってしまっている。

この作品は、今も使われ続けるAK47(主にアフリカですが)に関する取材を通しながらも、1種類の銃の功罪ということでなく、“銃”というものがどう使われ,利用されてしまったのか、そしてそうした紛争の渦中の人々の被害等を描き出したノンフィクション作品。

アフリカのシエラレオネ内戦の子供兵であった女性へのインタビューから始まり、生みの親である、ミハイル・カラシニコフへのインタビュー、南アフリカの治安悪化の現状など今の日本に生まれ、住んでいると想像も出来ない現状が次々と出てきます。
アフリカの子供兵や内乱とそれにより発生した難民や貧困などに関しては、ニュースやドキュメンタリー番組などで、時々は取り上げられるので、全く知らなかったわけではありませんでしたが、こうしてまとまった形で読むと、改めて神経が滅入ります。


例えば、手首切りという非常に残酷な行為をゲリラ兵が行ったことについて、なぜそんなことをしたのかという理由に関して,“より残虐な行為をあえてすることで組織の忠誠を示そうとする心理が働いた”というセラピストの言とか、“銃を持つと自分が偉くなった気がする、そんなバカなと思うだろうがほんとうのことだ”という力を持ったことによる陶酔のような心理状態とか、戦争という状況に置かれた人間が、根気が無くなり、刹那的、衝動的になる,自分の瞬間的な衝動を抑えられないといった、社会のルールに適応できなくなってしまう。。。。

等など、個人として、自身の衝動を抑えられなくなったり、自身を客観視出来なくなるような状況が出来上がってしまうことに非常に恐ろしさを感じました。
人間余裕のある状況下では、余裕のある判断を下すことが何とか出来ても、戦争状態という極限状態では、そうは出来ないし、出来たとしても非常に難しい。(これは決して他人事ではないと思います)


この作品の本来のメッセージは、銃というものとどう関わるのか?一度持ってしまった“力”(銃による力)をマクロな点でどうコントロールするのか?という辺りを読む側に考えさせるという所ではないかと思いましたが、どうしても私個人としては、もっと小さな、一人の人間としての問題に気持ちが行くようでした。

こういった社会状況に陥るに至った、アフリカの国としての成り立ちの問題とか、国家間の利害ゆえに紛争が煽られたりという現状とか、最低限の安全を守ろうとする地域の努力とかにも多くの筆を割いており、全体としては、もっとマクロな視点でものを見ています。


ちょっと、兵器や戦士の意識に関しての歴史的経緯に関しての記述には、少々違和感を覚え、所々同意は出来ないような記述もあるにはあったのですが、アフリカで最近起きたそして起きている現状を知ることが出来るという点では読んで損は無い作品ではないかと思います。
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2008年08月04日

本>文芸 「異邦人」 作:カミュ

「異邦人」,作:カミュ,新潮文庫です。
夏になると本屋さんに並ぶ“新潮文庫の100冊”の帯。 そのうちの1冊がこれで、まあ、どんなものかなぁ?くらいの気持ちで手を出してみました。(薄い本であったのも一因)


我々が生きている今の社会には、様々な常識や守るべきルール、しがらみが存在しています。 生まれ、育った土地それぞれ違いがあるとはいえ、自分が納得する,しないに関わらず、親、家庭、家族、社会と色々、“こうするべき”なことを教えられ、我々はそこに徐々に適応していっています。

このお話しは、そういった社会的な常識やこういうときにはこうするのが普通だ、ということに全く囚われず、その時々の衝動や自身の欲望にただ忠実に行動するという主人公ムルソーの行動、考えを描くことで、我々が如何に多くのことに縛られているか、我々が“こうあるべき”、“これがあたり前”としているさまざまな常識が本当に必要なのか?と問いかけてくる作品であるかのように思います。


主人公ムルソーの判断と行動は、普通なら取るべきと我々が思っている,または思わされている(様々な教育や、社会的な無言の圧力によって)ものからは、色々と外れています。 母親の死に対しても大きな悲しみを示すことなく淡々と無関心なほどに処理し、その次の日には女性とデートし、やる必要性が必ずしもあるとは思えない殺人を犯し、それ自体にも罪の重さに打ちひしがれるとか、悔恨の情を示すことない。

これだけを書くと、単に反社会的な、悪いやつという感じになってしまうのですが、ここで作者が描いているのは、社会的なルールを破っているという意識が無い人物です。
“悪い”“良い”というのは、何かに照らしてということになりますが、その基準が異なる存在にしてみると、どうしてその“何か”を守ったり、従ったりするのか理解できないでしょう。


ムルソーがそうで、彼は、母親の死の翌日に女性と性的関係を持ち、また娯楽映画を見て楽しんだことで、物語後半の裁判で大いに非難されています。 しかし、単純に生き物としての人間とすれば、別におかしなことでもない,生殖し子孫を残すという観点から考えると、どんなときであれ、したければSEXをしようとするのは、生物としての本能としてはむしろ自然なことです。 これを不謹慎と感じたり、不道徳、親不孝などと感じるのは、我々が知らず知らずのうちに刷り込まれている社会的常識という物で物事を計ろうとしているからにすぎません。

このように、この作者の描く主人公像に共感する所もあるのですが、一方,やはり個人的には共感、納得できないのは、主人公が殺人を犯してしまうという所です。 これはやはりよろしく無いと思います。 社会的ルールとしてどうこうと言う以前に、これは生き物としてもよろしくない行動と思います。 人間という同種の生物をさしたる理由もなく殺してしまうのは、種の保存という観点からしてもおかしいことと思います。
これは、社会のルール、しがらみといった物に対する疑念という考え以前に、純粋に生き物としてもよろしく無い行動です。 この一点に関しては、私は主人公の行動を認めることは出来ないでいます。


この作品で作家さんが言いたいと思われることに、大枠では賛成できる所です。(いまの社会が余りに個人を様々に制約しすぎてはいないか?といった辺り) しかし、あまりになにもかもやりたいように、衝動のままにというのは、人迷惑になるケースもあるので(この主人公のように衝動に駆られて人を殺害するようでは困ります)、そこにもある程度の限界が必要である。 というのが全体を読んでの感想というところでしょうか?
まあ、あまりに中庸すぎてつまらない感想ではあると我ながら思うのですが、現実に日本の今の社会の中で生きている身としては、これくらいが落とし所ではないかと思います。

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2008年08月03日

アート> 「納涼スコープ −水垣尚 岡本和喜展−」 ギャルリOU

地下鉄天満橋駅から歩いて少しの所にあるギャルリOUで開催中の「納涼スコープ −水垣尚 岡本和喜展−」を見てきました。 7/28〜8/9の開催です。

以前、芸術環境計画「かまぼこ」で開催された展覧会を見て、気持ちに残っていた作家さんで、今回も納涼スコープと言うタイトルから夏と言う季節に合った作品を展示されるかなー??との期待の元に見に行ってみました。

今回は、展示室(ABRI de OU)の空間と、屋上スペース(CIEL de OU)の両方を使用されていました。 展示室のほうは、日常のありふれた物を色々利用して水が流れる経路を画廊の空間に張り巡らして、水を流して(動力は、風呂の水を他に移せる例の小さいポンプを使用)、ペットボトルや、ビニールパイプを使って、ししおどしのような仕掛けを作り、定期的な上下運動を作り出しているという展示。 オブジェ&インスタレーションといった所かと思います。

水の流れが空間のあちらこちらで見えるので、やはりどことなく涼しげであり、納涼スコープのタイトルの通りの印象と言う感想です。
作品の作り方は、特にこの展示のために制作されたという感じではなく、日常身の回りに存在している様々なものをあえて雑多に、それを塗装とかできれいに仕上げたりせずに、日用品の姿そのままに組み合わせています。 表現として見た目を“整える”とか“きれいにみせる”という意味での工夫は無いので、すご〜く生真面目な方が見たら、真面目にやっているのか?と不愉快に思う可能性すらある感じに思いました。


しかし、私個人としては、こういう感じは嫌いではありません、日用品の各々の姿がそのまま出ていると言うことで、逆にいい意味で肩の力が抜けていると言う感じですし、見る側も変に構えずに気楽に見ることが出来るように思います。 だから見ていて何となく頬が緩んでくるような、いい感じの空間に仕上がっていたと思います。 なので、とてもリラックスできて、気楽な気分になって帰ることが出来ました。

ししおどしの動きも、何と言うか、上等な庭とかにおいてある竹製のやつのように、ピシッとした動きはしなくて、上下運動も微妙に左右にぶれながら動いていて、まあ全体にゆるーーい動き。 そこをいいかげんと思うのか,こういうのも一つの味で面白いと思うかは、個々人の感じ方次第と思います。 私はなんともいえない独特の面白味があると感じたので、十分いい表現と思いました。

相も変わらずの暑さで、ギャラリーまで歩くだけで汗が出るという感じで、この季節、色々見て回るのが億劫になってしまうのですが、これは足を運んでよかったです。
posted by 大阪下町オヤジ at 01:58| Comment(0) | TrackBack(0) | アートなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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