2008年12月31日

本>エッセイ 「看護婦が見つめた人間が病むということ」 作:宮子あずさ

「看護婦が見つめた人間が病むということ」,作:宮子あずさ,講談社文庫です。
実際に看護婦として長く勤務し(今も続けていらっしゃるようです)、様々な患者と接してこられた経験から人間が病気になったときの様々な心/治療/家族・社会とのかかわり等の問題について綴られているエッセイ作品。

テーマがテーマだけに、読んでいてリラックスできるとかそういったエッセイではありませんが、色々考えさせられるし、結構なるほどと思うこと/反省しなければと思うこと、、もあり、読んでなかなかよかったなぁと思った作品でした。

人間が、身体の病気でも、心の病気でも、病むと、これまで当たり前であったことが当たり前でなくなり、出来ていたことが出来なくなる、そういったところから、様々な自分自身も家族との関係もさまざま問題が噴出し、苦しむことになってしまいます。

幸せに暮らしていた人が急性の不治の病で身体的にも精神的にも暗転し、直らないまま亡くなられるエピソードや、死の病になっても家族との関係は結局修復しなかったなど、ドラマのようにはいかないやりきれない現実が色々語られています。

基本的には、そういう現実の中でも、何とか人に寛容に、または看護婦として真摯に接しようとされている著者も、時に徒労感や、苛立ちを感じることも、また正直に語られています。


全体からすると、こうすればいいという一つの固定された答えなど、生きていくということの中ではあるはずも無く、一人ひとり、生まれた環境、人間関係の中で、それぞれの答えを見つけるしかないものなのだと、いうことを改めて感じたというところでしょうか。。。
それと、あまり”こうでないといけない!”と自分の考えや一つの考えに固執しないことでしょうか? 状況を見て、周りを見て、適当に”じゃあこうしてみようかな・・”とふにゃりと変えてみる。 簡単ではありませんが、まあそんな心持を持っていることが大事なような気がしました。

特に印象に残っているのは、”人間は忘れることが出来るからこそ生き続けていられる”という言葉です。 これは本当にそうだなぁとしみじみ思いました。 昔の失敗や、恥をかいたことをいつまでも新鮮な記憶として思い続けたら、本当に人間どうにかなってしまいます。 そういったことをある程度忘れられるからこそ、ディテールが薄れるからこそ、人は何とか生きていける。 それが良いか悪いかは別ですが、それが現実と思います。


一読して損は無い作品かと思いました。 これを読んで、ちょっと周りに対して寛容な心持を持ってみようか?と思えたら、とてもいいことではないでしょうか?? そんなことを考えた作品でした。


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2008年12月30日

本>ノンフィクション 「ルポ 中国「欲望大陸」」 作:富阪聰

「ルポ 中国「欲望大陸」」,作:富阪聰,小学館新書です。
著者が、通常のニュース等で我々が目にする以上の中国社会の歪みや問題点を取材した内容をまとめたルポタージュ作品。 特に欲望を満たすために歯止めが利かなくなっているかに思える出来事を多く取り上げています。

生活のため?又は欲望のために?愛人となる若い中国人女性たち、しかし、その生活は決して安心/安定をもたらすものではなく、彼女たちのほとんどは、将来に不安を抱え、別れ話から悲惨な事件を起こすこともあり、また生まれる子供の問題もあり、彼女たちが稼ぐ金で家族が潤う現実の一方、常に社会からは批判の目でみられてしまう。

ネットの世界にのめりこむあまり、それが全てになり、親がネットを規制しようとしたらそれをためらいも無く殺害したり、ネット結婚というちょっと理解しがたいものに現実を離れた自らの理想の夫婦関係を求めようとする・・・・。

替え玉受験、ニートの問題、麻薬の蔓延、医療の問題、中国がいま抱えている様々な問題が取り上げられています。

個々の問題はそれぞれにとても深刻で、似たようなことは当然日本にもあるわけですが、かなりその現れ方が極端になっているように思われました。
 個人的に一番理解しがたかったのが、ネット結婚という、まあある種のセカンドライフ的なもので、ネット上で知り合った男女(もちろん性別を偽っている可能性はあり)が交際し結婚し、住居や車などのぜいたく品(たぶん現実のものではなく、ネット世界の擬似的なもの)を夫が妻に買い与えたりする。。。 これにはまるのは多くは女性で、現実の婚約者を持ちながら心はネット結婚の相手にはまっていくという心理はちょっと理解しがたいものでした。 
 現実の生活がそれだけ厳しいということなのかもしれませんが、妄想で白馬の王子様を夢見るくらいならまだしも、ネットを介してしか接触していない、いわば虚像の相手にそこまで感情移入できるというのは??? どうなのでしょう???


私は以前の記事で、「阿Q正伝・狂人日記(吶喊)」,作:魯迅,の感想を書いたことがあるのですが、その時の感想の一つが、全ての登場人物が、他者に対して“容赦が無い”というものでした。 他者への共感や相手の立場になって思いやるということがどうにも希薄であるように思えたのです。

同じようなことを、このルポタージュを読んでの全体の感想としてやはり持ちました。
最近の中国社会の問題点を現すキーワードとして”拝金主義”というがニュースであげられていましたが、それ以上に、”個人の欲求がとにかく最優先”という気分が蔓延しているように思えました、そしてそのためには手段は選んでいられないと。。。
それほどに過酷な競争社会なのかも知れないのですが、どうも魯迅の作品を読んでの感想と重なるところと思い合わせると、伝統的な社会習慣にもどこか根があるのではないのか?という気がしました。 もちろん私は中国の専門家でも社会学者でも、ジャーナリストでもないので、これは単なる憶測に過ぎませんが。。。。。


特に気になった作中の一文があって、中国社会では、法律を犯しても権力筋や警察筋に人脈があってそこにコネがあれば、何かしでかしても大抵上手く計らってくれる、だからみんな人脈を探る広げる、維持するのに労力を払うのだと言うあたり。(大意はこんな感じであったと思います) これを読むと、中国の人は、表向きの社会の制度を尊重せず、むしろ裏のつながりこそが重要であると思っているのではないか?と思ったのです。 つまりコネさえ持っていれば、違法なことをして、それがバレてもどうとでもなると思っているのではないでしょうか? だから我欲のために手段を選ばないということを、いとも平然とやってのけてしまう。
日本人的な理想からすると、そこに倫理の抑制が働かなくてどうする?と思いたくなるところですが、こんなことを中国の方に言ったとしたら、それこそ鼻で笑われてしまうでしょうね。。。


もちろんこれが中国社会の全て、中国の方の全てでは無いのでしょうが、かなり暗部を描いていることは間違いないと思いました。 この作品のエピローグで、著者は、中国が今後発展するという材料にも、沈んでいくという材料にも事欠かないと描かれています。 それが実際のところなのでしょう。一面だけみてその社会を測れるわけも無いですから。。。
ただ願わずにはいられないのは、発展するにせよ何にせよ、底辺の人々の苛立ちや、切迫感を何とかする方向には行ってほしいと思います。 日本もそうですが、極端な格差社会というのにはなってほしくないですね。(戦前や明治のような感じにはなってほしくないです)
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2008年12月23日

マンガ> 「きょうの猫村さん」 1巻 作:ほりよしこ

「きょうの猫村さん」1巻,作:ほりよしこ,マガジンハウス文庫です。
大判の漫画本で、たしか既に3巻まで出ている作品の漫画文庫での刊行。 その1巻です。
かなり話題にもなっていたのは知っていましたが、特に手を出さなくて、今回、文庫で出たのを見たので、1巻目を手にしてみました。


猫なんだけど、なぜか話も出来て、家事も出来て、ちょっと過去も背負っていて、なぜか家政婦として働くという主人公”猫村ねこ”の家政婦生活を描いている作品。

絵柄として、ひじょうにゆるい絵柄で、インクで引いた線ではなく鉛筆の筆致、またお話全体もいわゆる市原悦子の家政婦は見た的な展開(伏線も、展開も)。
”猫が家政婦”という設定と、その一生懸命さが、なかなか面白く感じたのですが、最初のそのインパクトが無くなる1巻目の後半になってくると、あまりにもどこかのドラマで見たようなシーンやお話の流ればかりなので、正直なところ少しく退屈でした。


1巻目のラストは、まあ勤めに入った家の事情(又は秘密)が明らかになるのか??というところの引きで終わっていますが、たぶん次は手を出さないだろうな〜〜と言う感想です。 (もう少し期待していただけに残念。)
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2008年12月22日

アート> 「エモーショナル・ドローイング展」 京都国立近代美術館

京都の岡崎公園にある京都国立近代美術館で開催中の「エモーショナル・ドローイング展」を見てきました。 最終日にやっと間に合いました・・・ 11/18〜12/21の開催です。

この展覧会は、16人の作家さんのドローイングの作品を展示しようというもの。
しかし、単に線描というだけでなく、かつ平面に描いてあるという作品だけでもない、色々な表現の作品が展示されていました。

共通していると感じたのは、”エモーショナル”という言葉の通り、何かしら、作家さんの情念的なものや、感じている不安や違和感などが前面に出ている作品であるように思えました。 表現としては、ほぼすべての作家さんが具象のテイストを持っているものでしたね。

作風は当然色々であるので、良かったと思った作品、そうでもなかった作品と感想は色々でしたが、なかなか見てよかった展覧会です。


印象に残っている作家さんを書いてみますと、
”レイコイケムラさん”、夢の情景のような、詩的ともいえますが、ちょっと痛みを感じるところもあるような表現で、無意識な部分で感じるような、不安や気持ちの揺らぎをそのまま描き出しているように思えました。
”ホセ・レガスピさん”,モノクロのドローイングの小品を室内いっぱいに張り巡らせたインスタレーションとも言っていい展示。 現実の社会で起きている暴力的な事件のような情景とか、悪霊が描かれているような作品とか、現実の社会の暗部と人間の内面の闇が混沌として示されているように思えました。 暗くて痛々しいものですが非常にいい作品であったと思います。
アニメーションの手法を使われていた作品では、”アマル・ケナウィさん”の作品が良かったです。 どこか茫洋としていて、それが見る側の様々な連想を想起するように思えました。


後、個人的に好みではなかったのですが、インドの作家さんが、日本に滞在中に作られたという作品で、アニメキャラみたいな、デフォルメされたかわいい絵柄の顔なのですが、乳房や男性器がこれ見よがしに描かれていたものがありました。 ちょっとゆがんだ感じの表現のように思ってしまったのですが、外国の方の目から見ると、アニメや漫画的な表現がこれだけ氾濫しているあたりに、奇異な感じ、社会/文化としての違和感を受けて、そこを突っ込んでみたかったのかも??と今思い返しています。。。 でも表現としてはやっぱり好みでは無いのですけれど。。。。

まあ、足を運んで損はなかった展覧会でしたが、ドローイングといっても”抽象”といえる作品は無かったですね。 別に具体的な何かを描いていなくても、”エモーショナル”な表現というものはいくらも存在していそうに思ってしまうのですが?? 最近はそういうのは受けないのでしょうか??? そこはちょっと不思議でした。
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2008年12月20日

マンガ> 「絶対可憐チルドレン」15巻 作:椎名高志

「絶対可憐チルドレン」15巻,作:椎名高志,少年サンデーコミックスです。
18日発売でした、いつもは大体購入後すぐ感想を書いていますが、ちょっと間が空きました。。
この巻は、前巻の続きの“ファントム・メナス”と”オーバー・ザ・フューチャー”の2エピソードが収録されています。


この巻トータルの感想としては、えっ!こういう展開?!というのが結構正直なところ。
“ファントム・メナス”では、薫とパンドラのエスパーたちが“黒い幽霊”のエスパーに対しようというお話で、このエピソードでパンドラのメンバーが薫を女王とするかどうかはまた別問題として、決して悪感情は持たないという結果になり、未来の薫の選択に大きく影響するエピソードかと思いました。 そういう意味でお話全体の中で結構重みを持つエピソードかと。。

で次の”オーバー・ザ・フューチャー”は、兵部少佐が皆本にまた催眠で仕掛けをして、今度は、皆本自身に自分自身の過去を受け入れられるかどうかを試そうというもの。 作品の最初のほうで、元々皆本自身、知能が並み外れていたため、通常の学校に受け入れられなかったということは描かれていたので、そこを掘り下げた内容になっています。
それ自体はどこかで描かれてもいいと思いますが、前エピソード、“ファントム・メナス”の後に来るにはちょっと違和感が感じられた(正直唐突過ぎる気がしました)のと、このエピソードの後、時間が一気に2年ほど飛んで、小学校の卒業式まで時間が経過したことが意外でした。
(しかし、せっかく明確に示したチルドレン−パンドラ−黒い幽霊の関係はどこに行ってしまうのか? 位置づけがよく分からなくなってきました・・・)


あとがき漫画をみても、どうやらここで小学校時代が終了して、次巻からは中学生のチルドレンが描かれることになりそうです。 身長も一気に伸びている感じで、絵的にもずいぶん印象が変わるような気がしています。

チルドレンは小学生の現時点と、ほぼ大人になった未来の予知/予測の時代とがすでに出てきていたので、絵的にその中間となる中学生時代が描かれるとは全然思っていませんでした。 このお話の最大の設問、”チルドレンは天使になるのか?悪魔になるのか?”という問いは、最終的な決断をする時代が子供/大人どちらの時代になるにせよ、どちらかで決断されるのだろうと勝手に思っていたのですが、この展開からすると、ずいぶんお話として長く続きそうな気がしています。

これからどう展開されていくのか、全く予測がつきませんが、まあ一読者としては、中学生になったらなったで、上手くお話を作ってもらえればいいと思います。 ただメインの主題からあまり遠回りはしてほしくないなぁと思っています。

今回の表紙は、子供姿の少佐と皆本、二人と、それに手を差し伸べているチルドレンの絵がこの巻の内容とマッチしていますね。 背景色の黄土色に近い黄色は、もう少し薄くてもいいのではないか?との感想です。 表紙絵もこの巻以降で結構変わるのかもしれないなぁと思ったりもします・・・。
posted by 大阪下町オヤジ at 22:52| Comment(0) | TrackBack(0) | マンガの雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月18日

本>時代・歴史 「人間の剣 昭和動乱編」(一)〜(四) 作:森村誠一

「人間の剣 昭和動乱編」(一)〜(四),作:森村誠一,中公文庫です。
拵えは粗末ではあるが、その刀身は名状しがたい色合いを持ち、持つものに不思議な気力、力を与える“無銘剣”,無名の人々の手を渡り歩く中で歴史のさまざまなエポックを描いている作品。

戦国・江戸編・幕末維新編に続いて、描かれた昭和動乱編を読みました。 全4巻で、一応これで完結とのことです。
4巻のタイトルは、(1)狂った天誅、(2)最後の特攻、(3)マッカーサーの息子、(4)永遠の剣 となっています。
前半2巻が、昭和十年の永田陸軍少将殺害から二・二十六事件あたり、軍部の強硬派が勢力を増して、日本がファシズムに流れていって、日中戦争、太平洋戦争、そして敗戦までを。
後半2巻は、敗戦後からその混乱とその時期に苦しんだ庶民の労苦、段々に復興していき、そして御巣鷹山の飛行機事故まで、昭和史の中の様々なエポックを特に庶民の視点から多く取り上げつつ、描いています。


無銘剣は、この昭和動乱編では、戦場にでてこれが使われることはほぼありませんでした、作家さんの視点は、軍国主義の圧政下、または戦後の混乱の中、その理不尽な被害を受ける人々に注がれていて、持ち手のほとんどは無名の庶民です。 

私は元々近・現代史はあまり詳しくないほうなので、この作品で取り上げられているような事件は、知らないことが多く、こんなこともあったのか。。。と色々知ることが出来ました。

戦中の軍国主義下での様々な思想統制、圧力、等々に関しては、認識は持っていたので、色々描かれるエピソードに苦々しい気持ちは持ったものの、驚きというところまでは行かなかったのですが、一番驚いたのは、4巻の”レグホンの歌声”で出てくる、戦後の企業の社員に対する、まるで軍事政権下もかくやと思われるほど規則、規制、でその生活を縛っている様子が描かれていたことです。 正直、戦後になって、その辺りは結構緩和されていたのではと思い込みが私にはあったのですが、財力や権力を持った側の意識が早々変わるわけでもないというのがはっきり描かれていて、一番気持ちが暗くなったエピソードでした。


人の持つ支配欲や嫉妬、欲望というものは、どうしても消えることは無いのか? もちろん完全に消し去ることなど、どんな人間にも不可能なことですが、せめて積極的に人を虐げないくらいにそれを制御することは出来ないものでしょうか???

自分自身が出来ていもいないことを、こんな風に書くのはひどく身勝手にも思うのですが、自分も何とかそうありたいと思うし、社会一般がそういう心持を持っていられたらもう少し何とかなるのでは?と、つい理想主義的なことを思ってしまいます。


この作品は、戦国時代・江戸時代・幕末維新・昭和と複数の時代が描かれてますが、いつの時代でも、同じことが繰り返されている気がして、気分が暗くなります。

作品全体としては、無銘剣と、兄弟剣の関係は、まだはっきりと解決していないみたいですし、まだ描こうと思えば続きを描けそうなのですが、昭和50年代まで来ているので、それ以降を歴史として、小説に描くのは難しいのかもしれません。
何にせよ、どの時代も、歴史の表面に出ることの少ないエピソードや事件を結構取り上げていてくれて、そういったことを知ることが出来たという点ではなかなかいい作品であったと思っています。


もう一つ、この昭和編で本筋とあまり関係なく、ひどく気持ちが揺さぶられた部分がありまして、最後に書いてみたいと思います。
それは、広島原爆投下のエピソードで、投下後の夜、産気づいた女性から被爆で気息奄々となった老産婆が赤ん坊を取り上げるというもので、その様子を詠んだ栗原貞子さんという方の詩がそのまま紹介されています。 おそらくこの詩が先にあって、この作品ではそれを使ってエピソードを構成されたと思うのですが、読んでいて、正直なんともたまらない気分になりました、”生ましめんかな” というタイトルの詩なのですが、非常にすばらしい詩だと思います。

私は、詩はほとんど読まないのですが、これはすばらしいと思いました。 ご興味のある方はぜひ読んでみてほしいと思った詩です。


余談になりますが、この4冊はamazonで購入しました。 実は、私はネットからの購入というのはこれが初めてで、本屋さんに注文しても良かったのですが、試しにやってみました。
コンビニで支払いも受け取りも出来るのがいいですね。 仕事で家にいない時間が多いので、私は、コンビニに好きなタイミングで取りにいけるのが気に入りました。
でも、関連商品とかが紹介されるので、ついつい買いすぎてしまいそうな気がするのでその辺りは注意しないとなぁ。。と思っています。
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2008年12月09日

本>時代・歴史 「冤罪」 作:藤沢周平

「冤罪」,作:藤沢周平,新潮文庫です。
藤沢周平の主に藩の下級藩士を描いた短編を集めた時代小説集。 全部で9編の作品が収録されています。
傾向としては、色々で、特に何か共通したテーマがあるという感じではありませんでしたが、それぞれに面白く、なかなかいい作品集であるというのが感想です。


印象に残っているのをあげると、
表題作であり、巻末収録の”冤罪”,人の世のしがらみや、自らの保身、小心の為に姑息な決断を下さざるを得ない人々を描きつつ、最後は、主人公が、武家の束縛を離れる形で、思いを寄せていた娘との再開を果たすという点で救われる読後感の作品。
もう少し泥臭い、人間臭い展開ですが、最後に武家の束縛を離れる形で自らの生活の基盤を見出すという点で(それが女性に絡んでいるという点で)似た展開で、かつどこか諧謔味があったのも共通と感じたのが、”証拠人”。


余人には理解できない秘めた、ある種鬱屈した暗い情熱の持ち主とその満足感を描いていたという点で、変わった傾向でしたが、面白かったのが”唆す”。

飛びぬけて、強烈に印象付けられたものも無かったのは確かですが、どれもいい作品で、秀作の作品集といっていいのではないかと思います。
藤沢ファンなら十分に楽しめる内容であると思います。
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2008年12月07日

本>時代・歴史 「風の果て」上下巻 作:藤沢周平

藤沢周平作,「風の果て」上下巻,文春文庫です。
藩の首席家老に登りつめた主人公桑山又左衛門のもとに一通の書状が届く、それは少年時代からの友人、野瀬市之丞からのもので、なんと又左衛門との果し合いを求めるものであった。

又左衛門の脳裏に、剣の修行や婿入り先をどうするかと悩んだ少年/青年時代のことが思い返される。。 物語は、少年/青年時代の回想と、首席家老である現在とが交互に描かれていきます。 その中で、仲間であった4人若者のそれぞれの運命、悲哀が描かれていきます。

何が幸いであり何が不幸または災いであるか分からない、簡単には判断もできない運命というか、人の世のままならさというものを強く感じる内容になっています。

幸せな結婚をしたはずの男がその妻の不貞から人生を狂わせてしまう。 また、家臣としてはもっとも栄達したはずの又左衛門の夫婦関係は冷え切っており、そして孤独のままに初老を迎えた市之丞・・・ それぞれの浮き沈みがそれぞれの重みを持って描かれています。


また、軽輩から農政一筋に勤めて、立身していき、ついに執政という権力者の仲間入りをして行く中での又左衛門自身の内面の変質も描かれています。
好むと好まざるに関わらず、今の地位を維持するために、どこかで妥協し、時に腐敗と見えることにも目をつぶり、権力争いのために裏の根回しや策略も講じるようになる。 自らは仕事を成し遂げるために必要なことと割り切りつつも初めは戸惑いつつ、そしていつしかそこに疑念を感じなくなっていく。。。


私がこの作品でいいと感じるのは、そうした主人公自身の変質も含めて、登場する人物の誰の立場も、だれの判断も是であるとも非であるとも言っていない所であるように思えます。
人は、その置かれた立場で、必要なこと,求められること,はそれぞれに異なる、だから簡単には誰が善で誰が悪であるとか、誰が一番幸せだとかはそれこそ言えるものではないというものなのだと思います。
(栄達した主人公は、権力も、金も確かに持っていて、人々の敬意も受ける、しかしその反面その地位を維持するためには権謀も用いなければならず、時に命の危険にもさらされる)

そして、この作品は、主人公が、やはり家老として生きていかなければならない、そして端然とそれに向かい合うところで終わっています。 単純な諦念というのではなく、生き続けると言うことに対する静かな強さというものがそこに感じられます。


そしてもう一つ、この藩を捕らえている借金や貧困は、歴代の執政たち(主人公の政敵たちも含む)が等しく取り組んだ課題であるのに、まだ少しも光明は見えておらず、結局常に何らかの課題が突きつけられているというあたりも非常に印象に残っています。 この作家さんの別の作品でも政治とその課題に関して同じような描き方がされていたのですが、政治のレベルの課題というのは、常に、どんな方策を採ったとしても、そこにはメリットとデメリットがあり、何をしたとしてもそれなりの問題をはらんでいる、きれいな解決などはできるものではないと言っている様で、政治や権力者というものに対する醒めた見方があるように思います。

よく政治的経済的な改革を成し遂げた人物が、英雄のように描かれ、問題を解決したハッピーエンドで終わるお話はよくありますが、そういったものとは一線を画した見方であるように思え、私には、これのほうがより現実的な見方であるように思えました。


こういう感想を書くと、ひどく重苦しい読後感であるように思われるかもしれませんが、そんなことは無く、静かですが、じんわりとしみじみ気持ちに響いてくるとてもいい作品です。
一読して決して損は無い一冊であると思います。
posted by 大阪下町オヤジ at 03:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 本の雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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