2008年07月02日

本>エッセイ 「一病息災」 作:内田百

「一病息災」,作:内田百閨C中公文庫です。
自身の数々ある持病とその付き合い方を飄々と綴った、なんとも可笑し味のある随筆集。


この作家さん、内田百閨iうちだ ひゃっけん)さんの作品は初めて手を出しました。
この方のお名前自体は、結構昔から知ってはいました。 それは映画「まあだだよ」を観てのことで、この方とその生徒さんたちのほのぼのはしていますが、どこか一風変わったところもある交流を描いた作品で、結構好印象な作品だったのです。(カラーの黒沢作品では結構好きなほうです)


で、その後、最近になって何度か他の本等でこの方のお名前が出てくるのを見て、では一度手を出してみようか?と,とりあえず、エッセイ作品からでもと思って手を出してみたのがこの作品です。

どうも読んでみると、一病どころか種々の持病をお持ちで、結構苦しい目にも会っておられるようですが、(しかし、酒の飲みすぎに関しては多少自業自得の感も無きにしも非ず)その付き合い方を飄々とした文体で綴られています。
しかし、純粋に身体的な病気というよりも、むしろ神経的な面から、体調に影響が出ているのでは?と思われる症状もあるように私には思えて、今であれば、心療内科とかにもお世話になるかも?とか思ったりしました。


物事に関する独特の見方、捉え方がやはり面白く、楽しく読ませてもらいました。 しかし、結構この方も、性格的な癖は強かったのではないか?と思わせるところも多々あり、身近な存在だと結構振り回されてしまう方かもしれないなぁ〜と思いました。

一番、感心したというか、非常に印象深く気持ちに残っているのが、“目”の章で、宮城検校さんとこの方が交わした会話で、テレビが普及しだしたとき、検校さんがはじめ、「あんな物が出回ると、盲人がまた一歩後退することになる、ラジオだと音声だけなので、人は音から映像を頭で組み立てることになるので、盲人もそれ以外も変わらないが、テレビではそうはいかない」というようなことを言われて、百關謳カも同意していたのですが、数年後の対談で、今度は検校さんは「あんなに面白い物は無い、是非内田さんもお持ちなさい」とおっしゃる。

百關謳カは、前といっていることが違うとその訳を問うのですが、検校さんは、「家族の者とテレビを見ると、その話しを聞いて十分に楽しむことができる、みんなが見た映像の話しをするので、自分も見たような気分になれて非常に楽しいものだ」とおっしゃる。
百關謳カは驚嘆して、「あなたは他人の目で物を見るのですね」というと「それで結構間に合います」と検校さんは言うのです。

この“それで結構間に合います”という言葉が、なんとも言葉では形容も説明も出来ないのですが、非常に気持ちに残っています、しみじみ響いて、染み入ってきたという印象で、とにかくこの作品の中での一番の名言だと思っています。

視覚が無いということは、それだけ不自由であるのは確かなはずです。 それでも“それで結構間に合います”とすらりと言えるその心持というか,囚われていない心境というか、そういったものがなんともうらやましく感じました。
(自分も何かの不足,不満に対して、こういう風にすらりと言えることが出来るのか?なんとも心もとないです。)


この作品、古い作品なので、仮名遣いや、文体が結構古いです。だから多少読みにくいところもあったのですが、前後の流れから大体見当がつくので、古文のように意味がつかめないということは全くありません。 逆に、今は使わないけど、使われているのを読むと趣があっていい表現というのも多々あるので、一度取っ付いてみるのもいいのでは?と思います。 そういう点でもちょっとお勧めしてみたい作品です。


posted by 大阪下町オヤジ at 02:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 本の雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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