2008年07月08日

本>エッセイ 「ノラや」 作:内田百

「ノラや」,作:内田百閨C中公文庫です。
ふとしたきっかけで、家で育てることになり、その後なぜか出かけたまま帰らなくなってしまった“ノラ”,そのノラを待つ内に、これもまたいつの間にか飼うことになってしまい、病死した“クルツ”。 猫への思いに涙し、一喜一憂する心情を飾らずに綴った14の章から構成される連作エッセイ。

この作品の魅力は、もういいおじいさんである、百關謳カ(この方の晩年に近い年の作品であるので、老齢と言ってもいいくらいの時期の作品であるはず)が、飾ることなく、自らが猫のことを思い、嘆き悲しみ、おろおろ悩み、失踪したノラを探すために、チラシを何回も刷り、はては外国人の人に拾われたかも知れぬと英語のチラシまで刷ってしまう。

そういった、感情としてどうしようもないという所を隠すことなく、綴っていてくれる所と思います。 正直、あまりの悲嘆ぶりに、最初は、いい年をした大人なんだからもう少し落ち着けばいいのに・・とちょっと皮肉に見てしまうところもあったのですが、あまりに身も世も無くといった感じにそのつらさを語られるので、段々読んでいるこちらも感情移入してしまって、こんなに心配しているのだから、何とか帰ってきてやってほしいものだと、百關謳カに励ましの手紙を送られた、多くの同時代の方々と同じような、応援する気分になってしまいました。


単純に、または冷静に考え、判断するとしたならば、人間より寿命の短い猫が人より先に死ぬのは致し方の無いことで、失踪した猫も、死んだか(殺された含む),他で飼われたか,また野良猫になったか,大体その運命は想像がつくものなので、そう思って、気持ちを落ち着かせて、そして大抵はその辺りで諦めがつくものです。

だから、見様によっては、この作品は、ただの愚かな老人の愚かな愚痴を綴ったに過ぎないと断じてしまうという見方もあると思います。 しかし、理屈はともかく、感情として時に人間は、理不尽なほど執着したり、囚われたりしてしまうものであるということも、また人の心の持つどうしようもない一面であると思います。

そういう意味では、人間の持つ“情”の部分が全面に押し出されている、そこを綴っている作品といえると思います。 そこを一概には否定できない,というよりしたくない,というのが一番の感想でしょうか。 (身近な物に対する理屈抜きの哀歓、情といったもの無くしては人間として何かが欠けていると言われてもしょうがないとも思います。)

正直に言いますが、あまりにも“情”が強すぎたりして、何かに囚われすぎてしまうのはもちろん良くないことです。 現実問題,読む側としては、作家さんの悲しみは悲しみとしても、ある程度、一歩引いて読むことが必要だと思います。
その前提を持った上で、素直な感情の吐露を素直に読み共感する、ということで、いいエッセイでは無いかと思いました。 ごちゃごちゃと書きましたが、哀歓とユーモアもある、なかなかいい文体でしたし、結構お薦めの作品です。


posted by 大阪下町オヤジ at 01:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 本の雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。