これが書かれたのは、1970年代のようですので、結構昔の作品。 サモア人酋長のツイアビさんが西洋文明をつぶさに見て、感じたところを自分の仲間達に語った内容が書かれています。 基本的に、サモアの人から見た西洋文明や西洋人の考え方に対する批判的な見解を示した内容になっています。
しかし、今読んでも、確かになぁ・・・と自分の耳が痛いような、そして、ちょっと意外な切り口で物事を見ていて、非常に面白い内容です。
上記で”西洋文明に対して”と書きましたが、それはこの方が主にヨーロッパを見て、その見解を述べられているので、そう書いただけで、その内容は、もっと一般的に、今一番幅を利かせている人間社会の仕組み全体に対して非常に痛い所をついているので、どの国の人が読んでもそれなりに意味がある内容になっていると思います。
細かいところでもたくさん面白い観点や考え方が書いてあるのですが、特に面白いと感じたことを書いてみますと、
”考えるという重い病気”の章で、考えるということに対して、特に物事を色々定義しようとする思考に対して非常に批判的で、それゆえに人々が苦しんでいるという主張には、非常に納得させられるものがありました。(そしてかなり耳が痛かった・・)
勉強して、物事を論理的に突き詰めたり、理路整然としてみたり、新たな概念を考え出して提唱してみたり・・・ なんとなく生まれてからの教育や、刷り込みで、そういったことがすごいこと,そうでないとダメなんだとなんとなく思い込んでいます。 でもそうでない答えがあっても別にかまわない・・・
もちろん、今の日本の社会で生きていくには、そうも言っていられないし、いまさら慣れ親しんだ、思考してしまう癖を捨て去ることなど出来はしませんが、一度こういった考え方に接するのは十分に意味があったと思っています。
もう一つは所有に関することで、”これは自分のもの”と定義してしまうこと,それが所有する欲望や他人と自分を比較することにつながり、結局は人の精神を大きく拘束してしまうことになっている。 この主張も非常に気持ちに響くものがありました。
どうも、この本全体を読んでみると、アーサー・C・クラークさんの「2001年宇宙の旅」
に出てきた一節が思い浮かぶのです。 一言一句正確ではありませんが、”人は、道具を作った、人はそれを使用してきた、しかし今や使用されているのは人であり、主人はもはや道具のほうなのだ”という内容の一文があったと記憶しています。
本当に、人は、様々な道具や、思想や、宗教や、社会の仕組みを作り出してはきましたが、むしろ人間の側がそれに縛られてしまっているように思えてしまいます。
この作品の主張が全てにおいて正しいと言えないのはもちろんです。 しかし違う視点での考え方も知ってみるという点では、非常にいい内容であると思います。
ご興味を持たれた方には是非一読をお勧めしたい一冊です。