2009年07月28日

本>社会学? 「続・反社会学講座」 作:パオロ・マッツァリーノ

「続・反社会学講座」,作:パオロ・マッツァリーノ,ちくま文庫です。
前に記事を書いた、「反社会学講座」の続編に当たる作品。
今回も経済学や社会学やその他もろもろ、我々がなんとなく情報として与えられていて、なんとなく”そんなものでは”と思っていることに関して、鋭く突っこみながら、コミカルな文体で、そういったことを楽しく読ませてくれている作品。


この続編でも、なんとなく受け入れてしまっている様々な”当たり前”が如何に、そう主張したい人の恣意や欲望に(又は見栄などにも)とらわれているものであるかを、様々に紹介してくれています。

興味深かったのは、経済学や社会学が様々な数式を用いて、その時々の社会現象や未来の予測などを立てていても、その数式の根拠となる、又は前提となる変数は結局その学者の選んだものであり(何を選ぶか+どの程度の数の変数を取り込むか)、またその変動の傾向なども結局はその個々の学者の予測であり、結局のところ社会全ての要因を数式に取り込む事など出来ないのであるから、いろんな予測や理論を打ち出しても実際のところは、当たり外れの大きいものであるらしいこと。

これを読んで私は、天気予報を連想しました。 今、いろんな観測機器の発達や、経験の蓄積などで、予想の確率はあがっているのは間違いないでしょうが、何もかもを当てることは出来ていませんよね。(予想外のことは常におきている)
これも結局は、お天気というのが、地球上(+太陽とかも)の余りにもたくさんの要素が絡み合っているために全てのファクターを組み込む事など到底不可能で、結局”予想”以上のことにはなれていない、そういったことを連想しました。


こういったときには、人や社会や、金の動きは”こうなるはず”と予測しても、人の心など何で変化するか判ったものではないのだから、空論とまでは言いませんが、えらい専門家がこう言ったから、”さあ、大変だ!!”と、それに振り回されてしまうようなことにはなりたくないですね。

他に印象に残っているのが、賞や栄誉を与える側の好意や善意も相手の気持ちを考えないものであれば単なるあつかましい押し付けになってしまうという辺り。 与える側がその行為自体に変なステータスがあると思っていると、変なプライドになってしまい、ひどく権威的になってしまうことなど。
これなどは、私個人としてはちょっと耳が痛い感じでした。
別に私は誰かに何か栄誉なものを与えられるような存在ではないのですが、相手に良かれと思ってやったことも、時に相手にしてみれば余計な押し付けや、善意の押し売りになりうると思ったのです。 程度問題なのですが、ちょっと気をつけないといかんかなぁ???と思ったりしました。
 

改めて、何かの権威だから、偉い人がこう言ってるから、という感じで、何でもすぐ鵜呑みにしてはいけないですね。 ちょっと立ち止まって、疑問符を持ってみて、それから判断すると・・
この本を読むと色々の”当たり前”に対して、少し距離を置けるような気がします。
そういった点で、一読しておいて損はない一冊だと思います。


posted by 大阪下町オヤジ at 02:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 本の雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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