2008年12月30日

本>ノンフィクション 「ルポ 中国「欲望大陸」」 作:富阪聰

「ルポ 中国「欲望大陸」」,作:富阪聰,小学館新書です。
著者が、通常のニュース等で我々が目にする以上の中国社会の歪みや問題点を取材した内容をまとめたルポタージュ作品。 特に欲望を満たすために歯止めが利かなくなっているかに思える出来事を多く取り上げています。

生活のため?又は欲望のために?愛人となる若い中国人女性たち、しかし、その生活は決して安心/安定をもたらすものではなく、彼女たちのほとんどは、将来に不安を抱え、別れ話から悲惨な事件を起こすこともあり、また生まれる子供の問題もあり、彼女たちが稼ぐ金で家族が潤う現実の一方、常に社会からは批判の目でみられてしまう。

ネットの世界にのめりこむあまり、それが全てになり、親がネットを規制しようとしたらそれをためらいも無く殺害したり、ネット結婚というちょっと理解しがたいものに現実を離れた自らの理想の夫婦関係を求めようとする・・・・。

替え玉受験、ニートの問題、麻薬の蔓延、医療の問題、中国がいま抱えている様々な問題が取り上げられています。

個々の問題はそれぞれにとても深刻で、似たようなことは当然日本にもあるわけですが、かなりその現れ方が極端になっているように思われました。
 個人的に一番理解しがたかったのが、ネット結婚という、まあある種のセカンドライフ的なもので、ネット上で知り合った男女(もちろん性別を偽っている可能性はあり)が交際し結婚し、住居や車などのぜいたく品(たぶん現実のものではなく、ネット世界の擬似的なもの)を夫が妻に買い与えたりする。。。 これにはまるのは多くは女性で、現実の婚約者を持ちながら心はネット結婚の相手にはまっていくという心理はちょっと理解しがたいものでした。 
 現実の生活がそれだけ厳しいということなのかもしれませんが、妄想で白馬の王子様を夢見るくらいならまだしも、ネットを介してしか接触していない、いわば虚像の相手にそこまで感情移入できるというのは??? どうなのでしょう???


私は以前の記事で、「阿Q正伝・狂人日記(吶喊)」,作:魯迅,の感想を書いたことがあるのですが、その時の感想の一つが、全ての登場人物が、他者に対して“容赦が無い”というものでした。 他者への共感や相手の立場になって思いやるということがどうにも希薄であるように思えたのです。

同じようなことを、このルポタージュを読んでの全体の感想としてやはり持ちました。
最近の中国社会の問題点を現すキーワードとして”拝金主義”というがニュースであげられていましたが、それ以上に、”個人の欲求がとにかく最優先”という気分が蔓延しているように思えました、そしてそのためには手段は選んでいられないと。。。
それほどに過酷な競争社会なのかも知れないのですが、どうも魯迅の作品を読んでの感想と重なるところと思い合わせると、伝統的な社会習慣にもどこか根があるのではないのか?という気がしました。 もちろん私は中国の専門家でも社会学者でも、ジャーナリストでもないので、これは単なる憶測に過ぎませんが。。。。。


特に気になった作中の一文があって、中国社会では、法律を犯しても権力筋や警察筋に人脈があってそこにコネがあれば、何かしでかしても大抵上手く計らってくれる、だからみんな人脈を探る広げる、維持するのに労力を払うのだと言うあたり。(大意はこんな感じであったと思います) これを読むと、中国の人は、表向きの社会の制度を尊重せず、むしろ裏のつながりこそが重要であると思っているのではないか?と思ったのです。 つまりコネさえ持っていれば、違法なことをして、それがバレてもどうとでもなると思っているのではないでしょうか? だから我欲のために手段を選ばないということを、いとも平然とやってのけてしまう。
日本人的な理想からすると、そこに倫理の抑制が働かなくてどうする?と思いたくなるところですが、こんなことを中国の方に言ったとしたら、それこそ鼻で笑われてしまうでしょうね。。。


もちろんこれが中国社会の全て、中国の方の全てでは無いのでしょうが、かなり暗部を描いていることは間違いないと思いました。 この作品のエピローグで、著者は、中国が今後発展するという材料にも、沈んでいくという材料にも事欠かないと描かれています。 それが実際のところなのでしょう。一面だけみてその社会を測れるわけも無いですから。。。
ただ願わずにはいられないのは、発展するにせよ何にせよ、底辺の人々の苛立ちや、切迫感を何とかする方向には行ってほしいと思います。 日本もそうですが、極端な格差社会というのにはなってほしくないですね。(戦前や明治のような感じにはなってほしくないです)


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2008年12月23日

マンガ> 「きょうの猫村さん」 1巻 作:ほりよしこ

「きょうの猫村さん」1巻,作:ほりよしこ,マガジンハウス文庫です。
大判の漫画本で、たしか既に3巻まで出ている作品の漫画文庫での刊行。 その1巻です。
かなり話題にもなっていたのは知っていましたが、特に手を出さなくて、今回、文庫で出たのを見たので、1巻目を手にしてみました。


猫なんだけど、なぜか話も出来て、家事も出来て、ちょっと過去も背負っていて、なぜか家政婦として働くという主人公”猫村ねこ”の家政婦生活を描いている作品。

絵柄として、ひじょうにゆるい絵柄で、インクで引いた線ではなく鉛筆の筆致、またお話全体もいわゆる市原悦子の家政婦は見た的な展開(伏線も、展開も)。
”猫が家政婦”という設定と、その一生懸命さが、なかなか面白く感じたのですが、最初のそのインパクトが無くなる1巻目の後半になってくると、あまりにもどこかのドラマで見たようなシーンやお話の流ればかりなので、正直なところ少しく退屈でした。


1巻目のラストは、まあ勤めに入った家の事情(又は秘密)が明らかになるのか??というところの引きで終わっていますが、たぶん次は手を出さないだろうな〜〜と言う感想です。 (もう少し期待していただけに残念。)
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2008年12月22日

アート> 「エモーショナル・ドローイング展」 京都国立近代美術館

京都の岡崎公園にある京都国立近代美術館で開催中の「エモーショナル・ドローイング展」を見てきました。 最終日にやっと間に合いました・・・ 11/18〜12/21の開催です。

この展覧会は、16人の作家さんのドローイングの作品を展示しようというもの。
しかし、単に線描というだけでなく、かつ平面に描いてあるという作品だけでもない、色々な表現の作品が展示されていました。

共通していると感じたのは、”エモーショナル”という言葉の通り、何かしら、作家さんの情念的なものや、感じている不安や違和感などが前面に出ている作品であるように思えました。 表現としては、ほぼすべての作家さんが具象のテイストを持っているものでしたね。

作風は当然色々であるので、良かったと思った作品、そうでもなかった作品と感想は色々でしたが、なかなか見てよかった展覧会です。


印象に残っている作家さんを書いてみますと、
”レイコイケムラさん”、夢の情景のような、詩的ともいえますが、ちょっと痛みを感じるところもあるような表現で、無意識な部分で感じるような、不安や気持ちの揺らぎをそのまま描き出しているように思えました。
”ホセ・レガスピさん”,モノクロのドローイングの小品を室内いっぱいに張り巡らせたインスタレーションとも言っていい展示。 現実の社会で起きている暴力的な事件のような情景とか、悪霊が描かれているような作品とか、現実の社会の暗部と人間の内面の闇が混沌として示されているように思えました。 暗くて痛々しいものですが非常にいい作品であったと思います。
アニメーションの手法を使われていた作品では、”アマル・ケナウィさん”の作品が良かったです。 どこか茫洋としていて、それが見る側の様々な連想を想起するように思えました。


後、個人的に好みではなかったのですが、インドの作家さんが、日本に滞在中に作られたという作品で、アニメキャラみたいな、デフォルメされたかわいい絵柄の顔なのですが、乳房や男性器がこれ見よがしに描かれていたものがありました。 ちょっとゆがんだ感じの表現のように思ってしまったのですが、外国の方の目から見ると、アニメや漫画的な表現がこれだけ氾濫しているあたりに、奇異な感じ、社会/文化としての違和感を受けて、そこを突っ込んでみたかったのかも??と今思い返しています。。。 でも表現としてはやっぱり好みでは無いのですけれど。。。。

まあ、足を運んで損はなかった展覧会でしたが、ドローイングといっても”抽象”といえる作品は無かったですね。 別に具体的な何かを描いていなくても、”エモーショナル”な表現というものはいくらも存在していそうに思ってしまうのですが?? 最近はそういうのは受けないのでしょうか??? そこはちょっと不思議でした。
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2008年12月20日

マンガ> 「絶対可憐チルドレン」15巻 作:椎名高志

「絶対可憐チルドレン」15巻,作:椎名高志,少年サンデーコミックスです。
18日発売でした、いつもは大体購入後すぐ感想を書いていますが、ちょっと間が空きました。。
この巻は、前巻の続きの“ファントム・メナス”と”オーバー・ザ・フューチャー”の2エピソードが収録されています。


この巻トータルの感想としては、えっ!こういう展開?!というのが結構正直なところ。
“ファントム・メナス”では、薫とパンドラのエスパーたちが“黒い幽霊”のエスパーに対しようというお話で、このエピソードでパンドラのメンバーが薫を女王とするかどうかはまた別問題として、決して悪感情は持たないという結果になり、未来の薫の選択に大きく影響するエピソードかと思いました。 そういう意味でお話全体の中で結構重みを持つエピソードかと。。

で次の”オーバー・ザ・フューチャー”は、兵部少佐が皆本にまた催眠で仕掛けをして、今度は、皆本自身に自分自身の過去を受け入れられるかどうかを試そうというもの。 作品の最初のほうで、元々皆本自身、知能が並み外れていたため、通常の学校に受け入れられなかったということは描かれていたので、そこを掘り下げた内容になっています。
それ自体はどこかで描かれてもいいと思いますが、前エピソード、“ファントム・メナス”の後に来るにはちょっと違和感が感じられた(正直唐突過ぎる気がしました)のと、このエピソードの後、時間が一気に2年ほど飛んで、小学校の卒業式まで時間が経過したことが意外でした。
(しかし、せっかく明確に示したチルドレン−パンドラ−黒い幽霊の関係はどこに行ってしまうのか? 位置づけがよく分からなくなってきました・・・)


あとがき漫画をみても、どうやらここで小学校時代が終了して、次巻からは中学生のチルドレンが描かれることになりそうです。 身長も一気に伸びている感じで、絵的にもずいぶん印象が変わるような気がしています。

チルドレンは小学生の現時点と、ほぼ大人になった未来の予知/予測の時代とがすでに出てきていたので、絵的にその中間となる中学生時代が描かれるとは全然思っていませんでした。 このお話の最大の設問、”チルドレンは天使になるのか?悪魔になるのか?”という問いは、最終的な決断をする時代が子供/大人どちらの時代になるにせよ、どちらかで決断されるのだろうと勝手に思っていたのですが、この展開からすると、ずいぶんお話として長く続きそうな気がしています。

これからどう展開されていくのか、全く予測がつきませんが、まあ一読者としては、中学生になったらなったで、上手くお話を作ってもらえればいいと思います。 ただメインの主題からあまり遠回りはしてほしくないなぁと思っています。

今回の表紙は、子供姿の少佐と皆本、二人と、それに手を差し伸べているチルドレンの絵がこの巻の内容とマッチしていますね。 背景色の黄土色に近い黄色は、もう少し薄くてもいいのではないか?との感想です。 表紙絵もこの巻以降で結構変わるのかもしれないなぁと思ったりもします・・・。
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2008年12月18日

本>時代・歴史 「人間の剣 昭和動乱編」(一)〜(四) 作:森村誠一

「人間の剣 昭和動乱編」(一)〜(四),作:森村誠一,中公文庫です。
拵えは粗末ではあるが、その刀身は名状しがたい色合いを持ち、持つものに不思議な気力、力を与える“無銘剣”,無名の人々の手を渡り歩く中で歴史のさまざまなエポックを描いている作品。

戦国・江戸編・幕末維新編に続いて、描かれた昭和動乱編を読みました。 全4巻で、一応これで完結とのことです。
4巻のタイトルは、(1)狂った天誅、(2)最後の特攻、(3)マッカーサーの息子、(4)永遠の剣 となっています。
前半2巻が、昭和十年の永田陸軍少将殺害から二・二十六事件あたり、軍部の強硬派が勢力を増して、日本がファシズムに流れていって、日中戦争、太平洋戦争、そして敗戦までを。
後半2巻は、敗戦後からその混乱とその時期に苦しんだ庶民の労苦、段々に復興していき、そして御巣鷹山の飛行機事故まで、昭和史の中の様々なエポックを特に庶民の視点から多く取り上げつつ、描いています。


無銘剣は、この昭和動乱編では、戦場にでてこれが使われることはほぼありませんでした、作家さんの視点は、軍国主義の圧政下、または戦後の混乱の中、その理不尽な被害を受ける人々に注がれていて、持ち手のほとんどは無名の庶民です。 

私は元々近・現代史はあまり詳しくないほうなので、この作品で取り上げられているような事件は、知らないことが多く、こんなこともあったのか。。。と色々知ることが出来ました。

戦中の軍国主義下での様々な思想統制、圧力、等々に関しては、認識は持っていたので、色々描かれるエピソードに苦々しい気持ちは持ったものの、驚きというところまでは行かなかったのですが、一番驚いたのは、4巻の”レグホンの歌声”で出てくる、戦後の企業の社員に対する、まるで軍事政権下もかくやと思われるほど規則、規制、でその生活を縛っている様子が描かれていたことです。 正直、戦後になって、その辺りは結構緩和されていたのではと思い込みが私にはあったのですが、財力や権力を持った側の意識が早々変わるわけでもないというのがはっきり描かれていて、一番気持ちが暗くなったエピソードでした。


人の持つ支配欲や嫉妬、欲望というものは、どうしても消えることは無いのか? もちろん完全に消し去ることなど、どんな人間にも不可能なことですが、せめて積極的に人を虐げないくらいにそれを制御することは出来ないものでしょうか???

自分自身が出来ていもいないことを、こんな風に書くのはひどく身勝手にも思うのですが、自分も何とかそうありたいと思うし、社会一般がそういう心持を持っていられたらもう少し何とかなるのでは?と、つい理想主義的なことを思ってしまいます。


この作品は、戦国時代・江戸時代・幕末維新・昭和と複数の時代が描かれてますが、いつの時代でも、同じことが繰り返されている気がして、気分が暗くなります。

作品全体としては、無銘剣と、兄弟剣の関係は、まだはっきりと解決していないみたいですし、まだ描こうと思えば続きを描けそうなのですが、昭和50年代まで来ているので、それ以降を歴史として、小説に描くのは難しいのかもしれません。
何にせよ、どの時代も、歴史の表面に出ることの少ないエピソードや事件を結構取り上げていてくれて、そういったことを知ることが出来たという点ではなかなかいい作品であったと思っています。


もう一つ、この昭和編で本筋とあまり関係なく、ひどく気持ちが揺さぶられた部分がありまして、最後に書いてみたいと思います。
それは、広島原爆投下のエピソードで、投下後の夜、産気づいた女性から被爆で気息奄々となった老産婆が赤ん坊を取り上げるというもので、その様子を詠んだ栗原貞子さんという方の詩がそのまま紹介されています。 おそらくこの詩が先にあって、この作品ではそれを使ってエピソードを構成されたと思うのですが、読んでいて、正直なんともたまらない気分になりました、”生ましめんかな” というタイトルの詩なのですが、非常にすばらしい詩だと思います。

私は、詩はほとんど読まないのですが、これはすばらしいと思いました。 ご興味のある方はぜひ読んでみてほしいと思った詩です。


余談になりますが、この4冊はamazonで購入しました。 実は、私はネットからの購入というのはこれが初めてで、本屋さんに注文しても良かったのですが、試しにやってみました。
コンビニで支払いも受け取りも出来るのがいいですね。 仕事で家にいない時間が多いので、私は、コンビニに好きなタイミングで取りにいけるのが気に入りました。
でも、関連商品とかが紹介されるので、ついつい買いすぎてしまいそうな気がするのでその辺りは注意しないとなぁ。。と思っています。
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2008年12月09日

本>時代・歴史 「冤罪」 作:藤沢周平

「冤罪」,作:藤沢周平,新潮文庫です。
藤沢周平の主に藩の下級藩士を描いた短編を集めた時代小説集。 全部で9編の作品が収録されています。
傾向としては、色々で、特に何か共通したテーマがあるという感じではありませんでしたが、それぞれに面白く、なかなかいい作品集であるというのが感想です。


印象に残っているのをあげると、
表題作であり、巻末収録の”冤罪”,人の世のしがらみや、自らの保身、小心の為に姑息な決断を下さざるを得ない人々を描きつつ、最後は、主人公が、武家の束縛を離れる形で、思いを寄せていた娘との再開を果たすという点で救われる読後感の作品。
もう少し泥臭い、人間臭い展開ですが、最後に武家の束縛を離れる形で自らの生活の基盤を見出すという点で(それが女性に絡んでいるという点で)似た展開で、かつどこか諧謔味があったのも共通と感じたのが、”証拠人”。


余人には理解できない秘めた、ある種鬱屈した暗い情熱の持ち主とその満足感を描いていたという点で、変わった傾向でしたが、面白かったのが”唆す”。

飛びぬけて、強烈に印象付けられたものも無かったのは確かですが、どれもいい作品で、秀作の作品集といっていいのではないかと思います。
藤沢ファンなら十分に楽しめる内容であると思います。
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2008年12月07日

本>時代・歴史 「風の果て」上下巻 作:藤沢周平

藤沢周平作,「風の果て」上下巻,文春文庫です。
藩の首席家老に登りつめた主人公桑山又左衛門のもとに一通の書状が届く、それは少年時代からの友人、野瀬市之丞からのもので、なんと又左衛門との果し合いを求めるものであった。

又左衛門の脳裏に、剣の修行や婿入り先をどうするかと悩んだ少年/青年時代のことが思い返される。。 物語は、少年/青年時代の回想と、首席家老である現在とが交互に描かれていきます。 その中で、仲間であった4人若者のそれぞれの運命、悲哀が描かれていきます。

何が幸いであり何が不幸または災いであるか分からない、簡単には判断もできない運命というか、人の世のままならさというものを強く感じる内容になっています。

幸せな結婚をしたはずの男がその妻の不貞から人生を狂わせてしまう。 また、家臣としてはもっとも栄達したはずの又左衛門の夫婦関係は冷え切っており、そして孤独のままに初老を迎えた市之丞・・・ それぞれの浮き沈みがそれぞれの重みを持って描かれています。


また、軽輩から農政一筋に勤めて、立身していき、ついに執政という権力者の仲間入りをして行く中での又左衛門自身の内面の変質も描かれています。
好むと好まざるに関わらず、今の地位を維持するために、どこかで妥協し、時に腐敗と見えることにも目をつぶり、権力争いのために裏の根回しや策略も講じるようになる。 自らは仕事を成し遂げるために必要なことと割り切りつつも初めは戸惑いつつ、そしていつしかそこに疑念を感じなくなっていく。。。


私がこの作品でいいと感じるのは、そうした主人公自身の変質も含めて、登場する人物の誰の立場も、だれの判断も是であるとも非であるとも言っていない所であるように思えます。
人は、その置かれた立場で、必要なこと,求められること,はそれぞれに異なる、だから簡単には誰が善で誰が悪であるとか、誰が一番幸せだとかはそれこそ言えるものではないというものなのだと思います。
(栄達した主人公は、権力も、金も確かに持っていて、人々の敬意も受ける、しかしその反面その地位を維持するためには権謀も用いなければならず、時に命の危険にもさらされる)

そして、この作品は、主人公が、やはり家老として生きていかなければならない、そして端然とそれに向かい合うところで終わっています。 単純な諦念というのではなく、生き続けると言うことに対する静かな強さというものがそこに感じられます。


そしてもう一つ、この藩を捕らえている借金や貧困は、歴代の執政たち(主人公の政敵たちも含む)が等しく取り組んだ課題であるのに、まだ少しも光明は見えておらず、結局常に何らかの課題が突きつけられているというあたりも非常に印象に残っています。 この作家さんの別の作品でも政治とその課題に関して同じような描き方がされていたのですが、政治のレベルの課題というのは、常に、どんな方策を採ったとしても、そこにはメリットとデメリットがあり、何をしたとしてもそれなりの問題をはらんでいる、きれいな解決などはできるものではないと言っている様で、政治や権力者というものに対する醒めた見方があるように思います。

よく政治的経済的な改革を成し遂げた人物が、英雄のように描かれ、問題を解決したハッピーエンドで終わるお話はよくありますが、そういったものとは一線を画した見方であるように思え、私には、これのほうがより現実的な見方であるように思えました。


こういう感想を書くと、ひどく重苦しい読後感であるように思われるかもしれませんが、そんなことは無く、静かですが、じんわりとしみじみ気持ちに響いてくるとてもいい作品です。
一読して決して損は無い一冊であると思います。
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2008年11月27日

本>文芸 「輝ける闇」 作:開高健

「輝ける闇」,作:開高健,新潮文庫です。
ベトナム戦争を取材した体験から、同じくベトナムに取材に来ている日本人記者を主人公として、ベトナム戦争というだけでなく、その混沌とした社会状態をも、更に一人の人間の内面の葛藤と変化を描こうとしているように思える作品。

この作品を読む前に、すでにこの方のベトナム戦争のルポタージュである、「ベトナム戦記」,
「サイゴンの十字架」,を読んでいたので、この作品内でも語られたり描写として出てくるものは、結構すでに読んでいたものが多いので、その辺については、それほど新鮮味のあるところはありませんでした。(知識としてはという意味ですが)


しかし、ルポタージュと違う、小説としてのお話としての面白さは当然あり、そこは、楽しめたと思います。
特に、作中である種、アメリカの考え方の一典型として引き合いに出される、マーク・トウェインの「アーサー王宮廷のヤンキー」の内容が興味深く、一度読んでみたいという気分になっています。


この作中でも、ベトナムの混沌としたさまは、さまざまに描かれていますが、ベトナム人の描写で気持ちに残っているのは、反政府側のベトナム人が公開処刑されるときに、ベトナム人の少女がまるで単なるイベントを見るように、何の悲しみも、嫌悪もなく、死刑というものを楽しんでみていたという辺りが印象に残っていて、ベトナム人の中でもその意識の差はあまりに多様で、これもまた複雑怪奇すぎるものであったのかもしれません。

一つの作品として、お話として、そこまでいいか?といわれると正直そんなにいいとは思えなかったのですが、先に同じ作家さんの同じテーマのルポタージュ作品2つを読んでしまったせいも大きいと思います。 これを一番最初に読んでいればもっと違った感想になったような気がしています。 お話としては、決して悪くない作品と思います。

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2008年11月25日

マンガ> 「とりぱん」6巻 作:とりのなん子

とりのなん子作,の「とりぱん」6巻,講談社,ワイドKCモーニングです。
東北在住の作者によるコミカル自然観察マンガの第6巻。
もうこの作品6巻目なんですねーーー。 いつの間にやらという感じで、そして、その分こっちは年をとっていっているということですね・・・・。


この巻で面白かったのは、鳥や自然観察ネタよりも、雪国の寒さ、雪に関するネタで、特に降雪時の車の運転のネタが面白かったです。
大阪では、ほとんど積雪ということが無いので、私は、全くといっていいくらい雪道/凍結路面を走ったことが無いので実感は無いのですが、降雪時、凍結時の走行の苦労とか、登りの坂道の途中で止まらざるを得ない場合、まっすぐ止めるのではなく、斜面に対し車を斜めにして止める等、その状況に合わせた経験で色々な知恵があるのだなぁと感心しました。 (私がいきなり冬の東北に車で行ったとしたら、まず間違いなく事故を起こして、JAFか警察のお世話になってしまいそうだと思いました。)


その他、屋根の雪も温度、状況でいろいろな形状を示すところも紹介されていて、この辺りは、やはり実際に住んでいる方でないと描けないところだなぁとこれも面白かったです。

後は、近所の魚屋さんで、クリオネが観賞用として売られていたというネタでしょうか?
あれも、最近全くメディアで見ないですよね〜〜〜〜。 ブームが去るとまあ何でもこんなものでしょうが・・・。 あれが肉食で捕食のシーンがニュースで流れていて、結構獰猛な印象で、正直興ざめした記憶があります。(CMのイメージを勝手に鵜呑みにした私が悪いのですけどね。。。)


最初この作品を知ったときは、数巻くらいで飽きが来るかな〜〜〜と思っていたのを思い出しましたが、この巻も十分に楽しめています。 色々なネタを展開してくれるので、次も楽しみに待っていようと思っています。
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2008年11月23日

マンガ> 「GIANT KILLING」8巻 作:綱本将也,画:ツジトモ

「GIANT KILLING」8巻,作:綱本将也,画:ツジトモ,モーニングKC,講談社です。
この巻は前巻からの続き、“大阪ガンナーズ”との試合の前半が終わってハーフタイム、そして後半の途中までが描かれています。
発売が早かったですね、7巻の発売から1ヵ月後の発売です。


7巻を読んでの感想としては、この8巻で達海監督がこのゲームで仕掛けたプランの全貌が見えて、7,8巻でこのゲームが描ききられるのかと思っていましたが、この巻で描かれていたのは、後半途中まで、残り20分というところまででした。

前半で2点を先行されて、ハーフタイムで立て直して、後半1点を返したETU。 前半精度の無いパスを出していたと見せかけた(ほんまかな?という気も半分)ジーノのパスに走らされた相手守備的MFの平賀選手が椿選手のスタミナとスピードについていけなくなったのが、1点返せた大きな要因のようですが、その他にも相手チームのキーマンと達海が考えた窪田選手が途中交代というところで、これからは選手交代も含めたベンチワークもこの試合の趨勢を決める要因となりそうな感じで次巻に続いています。
(ジーノの調子が悪いと見せかけて、後半活躍させるのかと思っていたのですが、そう単純でもなさそうな展開です)


この巻で意外であったのが、FW夏木選手が変に悩んでしまい、判断が遅くなって、攻撃のリズムが狂ってしまったという辺りの描写。 この選手は、そういった悩みは持たないキャラ設定で、仮に持っていたとしても、あんまり個々の選手のディテールを追求していてはお話全体の流れが悪くなるような気がするので、裏で悩んでいたとしてもこういった性格描写は描かれない気がしていました。 でもまあ、この1巻の中で解決したみたいなので、そんなに引っ張らないエピソードかも知れませんが・・・・。

巻末の予告編調の部分を見ると、この試合は、次巻で終了しそうです。 ダルファー/達海,どちらの策が当たるのか?外れるのか? まあ次を読んでのお楽しみだと思うので、楽しみに待っていようというところです。でも早めに発売してほしい・・・。


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2008年11月17日

アート> 「アール・ブリュット −パリ,abcdコレクションより−」 滋賀県立近代美術館

JR瀬田駅からバスで文化ゾーン前まで、そこから歩いて5分ほどの所にある、滋賀県立近代美術館で開催中の「アール・ブリュット −パリ,abcdコレクションより−」を見てきました。 10/25〜11/30の開催です。

この展覧会は、フランスの非営利財団abcdの所蔵品の作品、約130点が展示されています。
一つ前の記事で書いた、「飛行する記憶」と同じ日に、一緒に見てきたもの。 同時期に、アウトサイダー・アートの展覧会が、そんなに離れていないこの2箇所で開催されていたので、一緒に見てきました。
アール・ブリュットもアウトサイダー・アートも言葉は違いますが、概念的には、まあ一緒と思っていて、いいと思います。 正規の美術教育を受けていない人々の作品という点では同じかと思いますので、、、

今回、過去見たことのある作家さん、見たことのない作家さんと色々見られて、なかなか良かったと思います。 特に今回は、立体の作品が結構展示されていて、その辺り数を見られたのは特に良かったと思っています。


印象に残っている作品は、数が多いので、書き出すときりがない感じなのですが、幾つかを書いてみますと、
抽象的といっていい表現では、ジョージア・ホートンさんの紙にガッシュの作品。細い線でぐりぐりと描かれている描写なのすが、不思議と惹かれた表現でした。 貝ガラを組み合わせて顔を作り上げた、パスカル・メゾンヌーヴさんの立体作品。 作家不詳の木の棒のこぶ等をうまく生かして人体のような造形となっている細長い作品。 特に顔の部分が、顔のようにも見方によっては女陰のようにも見える作品で、不思議な迫力がありました。 ヤンコ・ドムシッチさんの平面作品も神話的か呪術的ともいえるような独特な表現。
 

と、色々いい作品が見られました。 しかし、全体としてちょっと思ったことが一つあります。 今回は主に西洋の作家さんの作品が展示されていたのですが、どうも、その表現が、日本の作家さんの表現と比べると、より内面の病的であったり、もっとどぎつい表現をとれば狂的ともいえる部分が、ストレートに表現に現れているような気がしてしまいました。

個人的には、あまり好みではなかったのですが、アレクサンドル・パブロヴィッチ・ロバノフさんの作品とかは、銃や銃を持った兵隊さんがたくさん出てきますし、ヘンリー・ダーガーさんの作品では、少女が戦っているのか?抑圧される象徴ということなのか?首を絞められているところとか描かれていますし。
暴力を示したり、暗示していたり、性的なものというものも、結構赤裸々に描かれている作品がありました。

日本のアウトサイダー・アートの作品では、作家さんの内面としては、同じくそういうものがあったとしても、作品に表れる表現としては、もっと穏やかなものになっている気がします。(単に私がそういう作品を目にしていないだけというほうが、もちろん可能性は高いのですが・・)

これは、完全に1個人の憶測として書くのですが、日本のアウトサイダー・アートの作家さんって、多くは、どこかの作業所とか、アトリエとかで、描いていて、そこで見出された作家さんであることが多いように思います。 もしかしたら、そういう環境がそういった表現を抑えている可能性は無いのだろうか?
とかいう事を、ちょっと考えてしまいました。


だからいいとか悪いとか、そういったことではないのですが、とりまく環境とか、社会的な事とかに、なにかしら違いがあるかも?と考えました。

とはいえ、私はいいと感じた作品は、なんにせよ好きなので、あまり深く考え込んでいるわけではありません。


アウトサイダー・アートの展覧会がどこかであれば、またせっせと足を運ぶだろうと思います。 ちなみにこの美術館も、ちょっと交通アクセスは遠いのですが、周りは公園になっていて今は紅葉が始まっていてとてもきれいでした。 ちょっと遠出するのには、秋という季節が一番だと思います。(一番好きな季節です)
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2008年11月16日

アート> 「飛行する記憶」 ボーダーレス・ミュージアムNO-MA/旧吉田邸

JR近江八幡駅からバスで大杉町バス停まで、そこから徒歩5分の所にある、ボーダーレス・ミュージアムNO-MAで開催中の「飛行する記憶」を見てきました。
10/4〜12/7の開催。 このボーダーレス・ミュージアムNO-MAとそこから歩いて5-6分くらいの旧吉田邸の2会場での開催です。


この展覧会は、その表現に共通点がある作家さんを2人一組で作品を展示してあるもの。
そんなにたくさんでないので、一覧で書いてみますと、
 ・鈴木治と舛次崇(カタチの記憶)
 ・木下晋と吉澤健(時間の記憶)
 ・植田正治と三橋精樹(記憶の光景)
 ・日比野克彦と佐久田祐一と高橋和彦(浮遊する記憶)
といった感じ。 片やアウトサイダーアートの作家さん、片やそうでない方という組み合わせになっています。 なんかこういう書き方をすると、作家さんをカテゴリ分けして線引きするようで、あんまり良い書き方では無い気がするのですけれど、まあ説明のための記述だとしてご勘弁ください。(他にどう書いていいかわからないので・・・文章力が無くてすいません・・・)


まず、作品として印象に残っているのが、 鈴木治さんと舛次崇さん。 舛次崇さんは、前から好きな作家さんで、平面作品,シンプルで力強いフォルム、タッチ、シルエットで今回も非常に良かったです。
鈴木治さんは陶のオブジェで、赤色でこちらもシンプルですが、どっしりとした力強いフォルムとボリュームでこちらもとてもいい作品でした。 鈴木さんのほうがより有機的な感じを受けました。


植田正治さんの写真の作品。 白黒で、昔の日本の風景を切り取ったような作品ですが、気持ちに残っているのは、気持ちの一番底のほうが引っかかれるような、どこか気持ちが波立つような気分が残っているからだと思います。 切り取っている光景自体は、旧き良き日本の風景といったところなのですが、気持ちがほのぼのするような感じではなかったのです。 うまく説明できませんがそんなところでした。

木下晋さんと吉澤健さんも作り出す過程は当然異なるでしょうが、結果としてはとても似た表現になっていてその辺りを見られたのも面白かったです。 木下さんの鉛筆での具象画ではなく、同時に展示されていた手帳へのびっしりとした文字の書き込みと、吉澤健さんの作品です。

今回で、このボーダーレス・ミュージアムNO-MAに足を運んだのは2回目です。 ちょっと時間はかかりますが、今回の展覧会も良かったので足を運んでよかった展覧会です。 チラシとか会場に色々あったのですが、この展覧会以降もまた面白そうなのをやってくれそうなので、また行ってみようと思っています。
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2008年11月12日

アート> 「廣瀬紀明展 −「宙」−」 海岸通りギャラリーCASO

地下鉄 大阪港駅が最寄り駅の、海岸通ギャラリーCASOで開催中(11/4〜11/16)の「廣瀬紀明展 −「宙」−」を見てきました。
何回か見させていただいている、作家さんの最新の個展です。 過去2回この作家さんの個展の記事を書いています。

この方の基本の作風は、抽象平面、画面の感じは、繊維状の物がほどけたような感じで画面に模様があって、その解け具合が密であったり疎であったりという感じで、画面に動きが感じられるという作風。

今回変化が見られて、それがとてもよかったなぁというところがありました。 それは、繊維状の模様奥の、バックの表現なのですが、これまでは、ほぼフラットに色が置かれていることが多かったと記憶しているのですが、今回はそこににじみの要素が入って同系色ながら色の変化も見られて、それが、前面に感じる繊維状の模様の効果とあわせて、非常に奥行きを感じる、深みのある画面になっていて、私としては、今回の表現は非常によかったなぁと感じました。


茫洋とした感じに奥行きを感じる作品もあり、まるでらせん状に奥に入り込んでいくような感じの画面とかもあり、これまでにない変化を感じました。

色的には、緑系が主で後は青系と、寒色系の作品でしたが、どの作品もいい感じでした。


また、個々の画面を見ていると作家さんがいろいろ工夫されているのが感じられてそのあたりも見ていると勉強になるなぁという感想でした。
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2008年11月07日

本>エッセイ 「マンボウ阪神狂時代」 作:北杜夫

「マンボウ阪神狂時代」,作:北杜夫,新潮文庫です。
この作家さん、北杜夫さんは、名前はもちろん知っていました。どくとるマンボウのシリーズとか有名ですし。。 しかし今回読んだこの作品が初めてです。

少し前に、スタニスワフ・レムさんの「宇宙飛行士ピルクス物語」を読んだのですが、その読了後、ちょっと新しい作品を読む気分が減衰してしまって(作品が重かったというのもありますがそれ以上にめちゃめちゃ良かったので)、しばらく空白期間が出来ていました。 まあ、またボチボチと読み始めているのですけど、これはそんな時に気楽に読めるそうなものをと思って手を出したエッセイ作品。

これは、4年前に最初の刊行がされて、文庫化されたのが2006年のようです。
阪神を応援して半世紀という作家さんが、阪神への思い、応援するあまり仕事も手につかなくなったり、試合を見ていればここぞという場面ではテレビの前から“念を送って”みたり、一投,一打に一喜一憂、時に狂喜乱舞したりという、好きであるが故の悲喜こもごもな心情を飾らず綴っているなかなか面白いエッセイでした。

今でこそ、阪神は、優勝争いに常に食い込んでいくようなチームになっていますが、ずっとそうであったわけではなく長い低迷の時期もあったわけで、(私などは未だにそっちのイメージのほうが強いです)、それでもこの作家さんは半世紀もずっと応援しつづけてこられたわけです。 人間というものは、何かの“ファン”になってしまうと、理屈関係なしに応援してしまうもので、仮に表面上けなしていたとしても、心の奥底ではやっぱり好きでしょうがないというジレンマがあるもので、誠に厄介な心理状態であると思います。


この作家さんも、応援するがゆえに苦しみ、念を送っては疲れ果て、ゲンをかついで同じ服を着続けたり、自分が見ると負けるからあえて試合は見ないとか、とにかくその入れ込みようは大変なものです。 読んだ人間は、誰しも、どこかしらこの作家さんの行動、心理に自分のどこかが重なるのを感じるのではないでしょうか??

私は、元々あまり野球には興味が薄く、大阪在住なので、やはり阪神、オリックス(昔なら近鉄、もっと昔なら阪急ブレーブスあたり)とかが勝ってくれるとやはりうれしいですが、そこまで特定の球団に入れ込むという心理にはなれていません。 しかし、阪神ファンかそうで無いかは関係無しに、何かの“ファン”となったときの共通の思いというものを、何かしら共感できるという点で、誰が読んでもそれなりに楽しめる作品では無いかと思います。


ただ、阪神の歴史を振り返るような所では、昔の選手の名前が大量に出てくるので、その辺りは、私にはちんぷんかんぷんな部分もありました。 そこはさすがに阪神に(または野球全般に)詳しい人で無いとついていけなさそうです。 まあ私は上記のようにファンゆえの楽しみ苦しみの描写というものを楽しめた口なので、個人的にはそこはあまり気になりませんでした。
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2008年11月05日

アート> gallerism2008「画廊の視点」 大阪府立現代美術センター

大阪府立現代美術センターで開催中のgallerism2008「画廊の視点」を見てきました、11/3〜11/15の開催です。
この企画は、京阪神の現代美術画廊が各々一人の作家を選んでその作品を展示するというもの。
今年は、
アートスペース虹/新道牧人
天野画廊/磯崎真理子
楓ギャラリー/ 佐野暁
ガレリア・セロ/ウィ・アトリエ/香山洋一
ギャラリーAO/於保政昭
ギャルリOU/マイケル・J・ミグリアーチ
Gallery OUT of PLACE/山本昌男
ギャラリー白/増田敏也
Gallery H.O.T/山岡敏明
アートスポットギャラリーマーヤ/ハセガワアキコ
ギャラリーマキファインアート/ルイス・ジャミス
GALLERY wks./Negative/牛島光太郎
CUBIC GALLERY/柚口康二
信濃橋画廊/片口直樹
番画廊/坂本真澄
アンコール展示:寺田真由美
といった感じです。


全体的な印象から言いますと、展示作品が小さめのものが多かったことも関係しているのでしょうか? どうもググっと印象に残っているものがあまりなく、印象がうすいかんじだなぁというのが正直な所でした。

そんな中で面白かったのは、片口直樹さんの作品。 この方は、かなり大きい画面に人の顔を大きくアップで描く平面作品なのですが、全体として写真がぼやけたような、揺らぎがあるような描写をされていますが、真っ直ぐこちらを見返している視線が印象的でした。

山岡敏明さんは展示空間内に柱状に四角に空間を壁で仕切り、壁と壁の隙間から中をのぞくという展示になっていて、中には黒い正方形の座布団の真中がちょっと有機的に膨らんでいるという物体がのぞけます。 なかなかいい感じだったのですが、この方の作品のイメージからすると、壁の隙間からのぞくと全体ではなく一部だけが見えて、全体像は想像するという感じのほうが、より良いと感じたのではないかなぁ??と思いました。


もう一つ思ったのが、ほとんどの作家さんの作品が、やはりなんらかのかたちで具象表現や具体的な何かを描いていたりして、作品に取り込んでおられるなぁということでした。
作家さんの制作意図や表現の目的をきちんと感じ取れるかどうかは別にして、とにかく何かが描いてあるということは見て判断できるというものが多かったように思います。
どうにもこうにもつかみ所が無い、なんじゃこれ?!というものは無かったですね。


だから作品が悪いというわけでは全く無いのですが、個人的には、何らかの驚き(それは感嘆でもいいし逆に痛みを感じたり不愉快だったりしてもいいのです)を感じたいと思う方なので、その点では物足りない感じではありました。
posted by 大阪下町オヤジ at 02:58| Comment(0) | TrackBack(0) | アートなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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